2004/6/21  15:34

再発して(入院生活2)  再発して
私が、入院して、できる事といえば寝て、少しの食事を食べて、やっとトイレに行く。こんな状態であった。
癌になって、再発するまで、私はいくつかの本を読んだ。日々の忙しさに追われながらも、病気のことを、ほとんど忘れることができず、何かを捜し求めていたからだろう。
その本の中で自宅から2冊持ってきてもらった。
一冊はアンドルー・ワイル氏の本である。私はこの本の中に出てくる「奇跡的に治癒」した人々の物語を何度も読んだ。
ともすると、絶望に陥りそうな気持ちを支えてくれたのである。
もう一冊はチャールズ・V・W・ブルックス氏の本(「センサリー・アウェアネス」)である。私はこの本を読みながら(眺めながら?)ただ、寝てること、座ること、呼吸すること、そんなことを通して自分を感じることで、心地いい状態になることを知っていった。
姉が面会の度に、香りのよい花を持ってきて飾ってくれた。吐き気が続き、少しの嫌な臭いにも敏感になっていた私にとって、よい香りは安らぐものだった。
私が一番リラックスできたのは、音楽を聴いているときだった。ベッドに寝て、または座って深呼吸したり、夜、いろいろな雑音により眠りを妨げられるとき、音楽はとても効果的だった。
鳥の鳴き声や川の水の流れる音などの自然音やギターの柔らかい音が心地よかった。
イヤホーンを使いすぎて耳が痛くなってしまったのは困ったが。
治療や検査の合間に、また治療しながら、少しでも気持ちよいことをしようと思ったのだった。
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2004/6/20  9:01

再発して(入院生活)  再発して
検査と治療で忙しい毎日を過ごす。
肝臓の肥大により、吐き気、鼻出血、背部の痛みがあり、殆どベッドに寝たきりになる。寝返りさえ苦しかった。
血液中のカルシュウムを下げるために、アレディアという薬を使う。効果あり。瞬く間に、カルシュウム値は正常になる。
ベッドに寝てると、子供の顔が思い浮かんで、涙が出る。闘おうと思いながら、涙が止まらない。カーテンを閉めた一人の狭い空間で泣いてばかりいた。看護婦がたまたま、カーテンを開けて私が泣いているので、慌ててしまったり・・。
同室の人で肝臓ガンらしい人がいた。話す元気もないので、会話はしたことがなかったが、症状は私とそっくりである。彼女がお見舞いにきた家族の人に「あの人はなんであんなに、泣いてばかりいるのかしら?」と話しているのが聞こえてくる。本当に私は泣いてばかりだなーと思いながら、泣きたかったのだ。
その彼女は不満も言わず、泣きもせず、忍耐強かった。でも、私が入院中、帰らぬ人となってしまったのである。
姉や友達の計らいで、私は入院中にも関わらず、鍼灸、気孔をしてもらった。外出できない私のために、病室のベッドまで出張してくれたのである。
主治医はこの頃「あなたが効くと思うことはなんでもしてください」と言っていた。
私の姉は看護婦である。私が闘おうとしていることを、すぐ察知してくれ、インターネットで情報を集め、プリントして持ってきてくれた。
私なりに(泣いてばかりいたが)出来ること。今の自分でも出来ること。身体が死への症状をあらわし、そのことに怯えながら、私は必死に考えていたのである。
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2004/6/19  7:55

再発して(周りの変化)  再発して
入院すると、次から次へとお見舞いの人たちが来た。どこから、聞きつけてきたのか、数年音信が途絶えていた人さえ来てくれた。家族、親戚、友人達、同僚達。お見舞いに来てくれるのは嬉しい。病院で一人ぼっちなのだし、心も身体も弱って寂しいのだから。

しかし、そのお見舞いがだんだん、わずらわしいものに感じていくのである。それは、私が具合が悪そうな顔をしてると、みんながみんな、恐れたような目でみるし、元気そうにしてても、腫れ物に触るような感触で接してくる。確かに、こんな病気だし、きっと私でも退きたくなるだろうなーと思う。見知らぬ人なら・・。

あとは、カウンセラーみたいに、私を諭す人。宗教の本なんて持ってきてくれる人。みんなに、共通するこの嫌な感触は「この人はもうすぐ死ぬ」という目である。自分だって、私のお見舞いの帰りに交通事故で死ぬかもしれないじゃない?なんて、心の中で思いながら、表面的に「ありがとう」と言ってる私がいた。

私は、今、死のうとしてるんじゃない、生きようとしているんだと、心は叫び続けていた。
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2004/6/18  7:53

再発して(入院して)  再発して
仕事の引継ぎをして、入院したら、主治医が変わっていた。とても若い医師で私は途端に不安になる。
病状やこれからの治療などを語る医師。私は「◯◯先生を信頼して入院したのに、何故変わったのですか?」など不満をあらわにしながらも、病院とはこういうものかと、諦めもあった。
しかし、若い医師はこう言った。「治療はほどほどにして、早めに退院して、ご家族と過ごす時間をなるべくとりましょう」と。
再発して、私はまだ何も治療を受けていない。これから、力の限り闘っていこうと決心して入院したのに・・・。
「先生、私と一緒に闘ってください。私は諦めていないんです」そのようなことを凄い剣幕で言った気がする。
その日のうちに、元の主治医がおずおずと私のベットにやって来た。
具合も悪く、入院のごたごたで疲れきっていた私は、口をきくのもわずらわしく、指先を動かす事さえだるい。
黙ったまま、たぶん虚ろな視線で元主治医を見ていたのだろう。
元主治医は、何も告げないで主治医を交代した言い訳やこれからも自分が治療すると言う話をしていた。
私は、もうそんなことはどうでもよくなっていて、自分の身体の辛さに耐えていたのである。
しかし、これが私と主治医の本当の信頼関係作りの第一歩だったのである。
医師は治療における唯一のパートナー。特にこのように、生命の極限においては、その信頼関係は非常に大切なものである。

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2004/6/17  9:57

再発2  再発して
おかしなものである。再発が見つかるまでは、毎晩「こんなに辛いなら死んだ方がまし」という考えに取り付かれていたのに、余命が僅かかもしれないと言う事実を知らされた瞬間、心の奥のどこかから「生きたい」という爆発的とも言えるエネルギーが沸いたのである。
その時の事を思い出すと「火事場のばか力」と言う言葉が浮かんで、少し滑稽でもある。
人間の生存本能とは、こんなにも強いものなのだなと。
即日、入院するように医師に言われた。
私の身体は、肝臓転移の他、血液中のカルシュウムが異常に上がっており、体液の電解質がアンバランスをきたし、放っておくと心臓が止まりかねない状態だった。
しかし、私は何をとち狂ったのか、入院を一日伸ばしてもらい、仕事の引継ぎ、後始末に行ったのである。(どこまでも仕事人間である)
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2004/6/17  7:52

手術後の私、そして再発。  再発して
怒涛のような仕事をこなして、日常に復帰した。なんとなく重い身体を引きずって・・。
そう、だんだんと身体がおかしかった。肝臓は沈黙の臓器と言われるようだ。悪くなっても症状があまり出ない。
私は、再発が発見されるまで、目のものもらい、風邪、理由無く続く微熱、膀胱炎を度々繰り返しながら、何かがおかしいと思いながら、日常を送っていた。
また、頭の中では、病気になる前のように「70、80歳まで生きるのは当たり前」として将来のプランを無意識に立てられる自分ではなくなっていた。
病気に対する恐れを感じながら、日常に流されていたのである。
そのうち、仕事が終わり、家事を済ませ、布団に入る頃になると「こんなに辛いなら死んだ方がまし」という、言うにいえない、わけの分からない心理状態に陥り、病院に行った。
「上腹部に硬いしこりがある」と・・。
私のお腹を触った医師の顔色は変わった。
腹部のCT検査を行った。画像に映し出された私の肝臓の三分の二は癌で占められていた。
その画像を見ながら、私は「長くはもつまい」と考えていた。そう考えながら、医師には「三年でいいから生かさせてくだい」と涙を流して頼んでいたのである。
子供が中学校を卒業するまで、生きていたかった。
後で聞いた話だが、その時私の家族には「余命3ヶ月」と告知されていた。
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