昨日、若林顕ベートーヴェンピアノソナタ全曲連続演奏会の五日間が成功裏に終った。本当を言えば私にこの演奏会を語る資格はない。何故なら、五日間ソナタ全32曲を聴き通していないからだ。私の聴いたのは第一日と最終の第五日の二日間、11曲だけだからだ。四大ソナタはとうとう聴かずじまいだった。演奏者の若林さんが精神的にも肉体的にも一番大変なのに、ただ聴くだけの私が情けないが、緊張感の中で集中して聴くと、家庭の事情で日帰りしかできない私にとって、連続演奏は神経が持たなかったのだ。私は初日を聴き終った時にこの事を悟って、私が一番聴きたかった本命の第五日に的を絞って、この日に体調を合わせた。
連続演奏をする人は、プログラムを考える時、各一日毎に目玉の作品を置いてその各一日が独立して一日でもまとまったコンサートになるようにするのが通常だろう。主催者も興行的な効果を考えるとこの道を選ぶだろう。しかし若林さんのコンセプトは、作曲年代順にプログラムを組み、ベートーヴェンの進化の道を辿る事を選んだ。しらかわホールのポリシーは、演奏者の企図するプログラムに興行的だからといって口を挟まないという見識が光った。
ここでは、私は全てを聴かなかったが、各一日ごとのサブタイトルを紹介する。このタイトルだけで、ベートーヴェンの生涯が概観できる。
9月18日 第一回(1795-1797)ハイドンの足跡を辿って
19日 第二回(1797-1800)18世紀末を飾って
21日 第三回(1800-1802)ファンタジー・激しいエネルギー
22日 第四回(1803-1814)豊かな感情表現と「標題音楽」
23日 第五回(1816-1822)未来への道
最後に私の聴いた二日間を紹介し、感想を述べたい。
第一日は18時30分に開演された。第一番、第二番、第三番、休憩を挟んで第十九番、第二十番、第四番と演奏された。ト短調作品49の1とト長調作品49の2は作曲年から言うと、三番と四番の間に来る。初日の感想はこの二曲に代表させたい。というのも、この二曲には私の思い入れが強いからだ。リヒテルが晩年フィリップスに「熱情」を録音しているが、冒頭にこの二曲をカップリングしている。二曲とも二楽章形式の可憐な乙女のような優しい曲だ。リヒテルがそうだったように、若林さんの演奏は慈しむような優しさがあって、男らしい力強さと繊細さが同居していることが良く分かった。
最終日は恐らくこの連続演奏会の白眉だったと思う。第二十八番から連続する三十二番までの、所謂ベートーヴェンの後期だ。弦楽四重奏曲の後期と共に、ベートーヴェンの辿り着いた、究極の精神的高みを表現している。緩徐楽章に表現された宗教的浄化作用は今日精神というものが忘れられたように荒廃した世の中にあって唯一の癒しである、芸術のなしうる作用として。若林さんはこの緩徐楽章に真骨頂があった。的確なテンポとニュアンスに富んだアーティキュレーション。彼の演奏を聴いて、私は忘我の境地に誘いこまれた。演奏を聴いていて、引き込まれる余り、自他の区別がつかず、演奏を聴いているのか演奏をしているのか判然としなくなってしまった。
ともかく、私はこの日、このプロジェクトに参加してよかったと思った。最終日の難曲ぞろいのプログラムであれだけの完成された演奏を聴けば、残りは想像が付いた。聞き逃した事が少しの後悔の念をも起こさせなかった。去年の五月、びわ湖ホールで若林さんの「悲愴」は既に体験済みだったからだ。
