18でおなかを一杯にした後、さすがに卒業に関係するからという理由から授業に出ることを決意し、最近痛みを再発した腰を労わりつつ大山から池袋に向かったのであった。
途中通りかかったフジマルはシャッターが降りたままで、あの身体に悪そうな匂いを漂わせてはいなかった。
一方、池袋の隠れた名店16は立教のアホ学生で賑わっており、30分待ちは避けられないその状況に対し、18であれば待たずに食えるのに、と思わずにはいられなかった。
そのままいつもの5号館に自転車を置き、とりあえず授業が始まるまでアイビーで時間を潰すことにしたが、つまらない奴しかいないという気配を察し、それに耐えるためにまずは一服していくことにした。
アイビーに降りていくと、やはりつまらない奴らしかおらず、そのことに少し後悔しながらも、授業に向かうには時間が早すぎるのでガマンすることにした。
いつからアイビーはつまらない奴の巣窟になったのだろうか。
つまらない奴らの巣窟となってしまったことと、巣窟という漢字を「すくつ」と読んでしまったゆとりどもを実に嘆かわしく思いつつ時間を潰し、テキトーに教室へむかった。
教室には見慣れた4年の女性陣が群がって座り談笑をしていたが、もちろん俺がそこに愛想よく挨拶をするわけも無く、さりげなく一番後ろの席に座った。
ツキモの到着を待っていると、見知らぬ若そうな男性が教員用のパソコンを持参して現れた。
どうせ教室間違えただけだろう、と思っていたがそれは間違いではいなかった。
ツキモの代役で来たらしいその人は素晴らしいバリトンボイスを持ち、10号館2階の教室にその美声をびんびん響かせていた。
代役ということもあり、予定を変更しての授業となった。
第一週は祝日、第二週休講、第三週代役、と後期が開始してからツキモは一度も姿を表していない。
ツキモの予定ではサムエル記のダビデ物語を欽定英訳聖書で読むという、キリカなのか英文科なのかよくわからないゼミになる予定だが、いまだにそのテキストをもらっていない。
テキストが無いということは、予習することが不可能であることを意味していた。
おかげで今は英語テキスト7ページ和訳という地獄に陥ってはいないが、それはただのモラトリアムに過ぎず、来週の今頃はきっと欽定訳聖書にヒーヒー言っているに違いない。
バリトンボイスの人はテル・レヘシュ遺跡発掘の報告をしていたが、それはツキモの指示である。
ツキモは今年の発掘調査団団長をしていたらしく、ゼミに参加していた4年の中には発掘調査に学生ボランティアとして参加した人もいたらしく、そしてバリトンボイスの代役の人も発掘に参加していたらしい。
オンデマンド授業でツキモが言っていたことと内容が一部重複していた。
ゼミに来たはずなのに一方的な講義をされてしまい、久しぶりにひねり出した授業へのヤル気は完全にそがれてしまい、ysお氏から来たメールに返信するほどであった。
ベローチェで数週間ぶりに会ったysお氏からは、お前ゼミとか嘘ついてんじゃねーよ、ゼミなら返信できるわけねーじゃん、と言われてしまうのである。
嘘はついていない。
ラス前となった裏ベローチェに行くと、そこにはysお氏がいた。
相変わらず身体に悪いもん吸ってんだな、と授業後の一服をしている俺に対して元喫煙者のysお氏は仰った。
こちらとしては何故ysお氏が禁煙しているのかが理解できないくらいである。
ysお氏は夏目友人帳がもう終わってしまったことを深く嘆いていたが、きっと二期は無いであろう。
ちょいちょい俺を呼び出してくるとは、ysお氏はきっと俺にほれているに違いないが、申し訳ないことに俺にはその趣味はなく、その気持ちを受け入れてはあげられないのが残念だ。
今日のバイトはんkjmと見知らぬ奴で、途中から85点くらいのポニテが入ってきたが、初めて見る顔であった。
残り僅かとなった長としての職務を全うしようとする店長もそこにはいた。
バイトのあbには通じる「いつもの」を飲みながら、ysお氏とどうでもいいような話をして時間を潰すともう練習の時間だ。
今日はミサだという。
ミサ曲、聖歌、賛美歌、アンセム、モテット、などキリスト教の音楽には様々な種類が存在しているが、それらを区別できる人間はきっとグリーには誰もいないだろう。
スコット氏の授業を受け、創ちゃんのゼミで英国国教会の音楽を勉強していた一年前の俺ならきっと区別できたかもしれないが、今は区別できない。
しかし少なくとも、ミサがキリスト教音楽の総称ではないことくらいは知っているし、kyrieがラテン語ではなくギリシア語であるということくらいは知っている。
kyrieがラテン語だと信じてやまない人は多いだろうが、残念ながらラテン語ではないので、密かにこれを読んでいる準孫技術系の人たちは来年以降のパー練でいうといいだろう。
kyrie,eleisonはdomine,miserere nobisときっと同じであろう。
どちらも「主よ、あわれみたまえ」と日本語訳されているのに気づけば、違う言語かもしれないと感じるだろう。
めんどくさくなってきたところで時計はそろそろ2時を指そうとしていた。