「CDウォークマン」に関して、いろいろな
ご意見、アドバイスをいただきました。
「買うべきか」「買わざるべきか」ハムレットの心境です。
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【こまクリレター】
配信:こまえクリニック
http://www.koma-cli.jp/
━━━ 31号 2009.02.17. ━━━━━━━━━━━━━━━━
◆◆常識を疑う(2)努力は報われる
私は道徳的な言葉を疑ってみる癖があります。例えば、「贅沢」という言葉より、「質素倹約」という言葉の方が耳触りがいいでしょうし、道徳的と感じるのではないでしょうか。しかし、世の中の人、日本人全員が「質素倹約」をしたら、どのようなことになるでしょうか? モノが売れなくなり、たちまちデフレになってしまうでしょう。消費が活発でないことには、経済が停滞してしまいますから。
こういうことを言うのは、出典は忘れましたが、「努力は報われる! 報われないのは、報われるまでの努力が足りないからだ!」というフレーズを目にしたからです。私はこういったストイックな言葉が、好きではありませんし、世の中、実際このようなことにはならないと思います。むしろ、「報われる努力はたくさんある」という言い方をしたほうが、現実的であるような気がします。
100年に一度といわれる世界的な大不況の中で、日本でもリストラの嵐が吹き荒れています。こうした中でリストラされる人達は、努力が足りないのでしょうか? そんなことは決してないと思います。いくら、個人が努力したとしても、会社全体の業績がおかしくなってしまうと、個人の努力は、簡単に吹き飛んでしまいます。しかし、努力するなとは、もちろん思っていません。まかぬ種は生えませんから。
努力が報われるためには、努力のクラフト(力)だけではなく、その方向性が大切でしょう。ようは、「努力のベクトル」だと思うのです。自戒を込めて言っています。東京から青森に向かうのに、南の方向に全力で駈け出したとしても、ゴールに到着しないことは子供でもわかります。しかしこれが実際の仕事となると、そうしたまったく方向違いの努力をしていることが、決して少なくないと思います。
もう一つ私が思うのは、言葉を引きずることの弊害です。「努力は報われる」と、念じるように生きていくと、もしその言葉が真理でなかった場合、かえってその人の人生の足をひっぱることにもなりかねません。すなわち、軌道修正をすることが難しくなるかもしれないと思うのです。
例えば「金は天下の回りもの」と言います。もし自分のところになかなかお金が回ってこなかったら、「そのうち自分のところにも巡ってくるさ」という楽観的な考え方に傾いてしまわないでしょうか? 「金は天下の回りもの」であるが、「回るべき所を回っている」という指摘のほうが、現実に近いのではないでしょうか。そうすると、いくら木の切り株に腰掛けて待っていたとしても、その人のところには永遠にお金は巡ってはこないでしょう。第一なんら努力も行動も起こさなければ、そうならないことが素人にもわかります。
また、方向性が正しくても、やり方次第で、10のステップを踏むものが、3つのステップで達成されることもあると思います。そこにも「努力は報われる」的な考え方があると、方法論を考えること無しに、ひたむきに取り組むことのみが推奨されることにもなりかねません。
努力が報われるためには、現実的なゴールをきちんと設定して、そこに至るプロセスを明らかなものとして、そのゴールに向かって着実に駒を進めて行くことが、必要なことではないか、そんなふうに思いますが、、、。

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