2009/5/20
白珪尚可磨 禅語

『白珪尚可磨』 (はくけい なお みがくべし)
黄梅院太玄師
「白珪」は、「白圭」とも書き、白く清らかな玉のことで、祭祀に使われたり、天子より授けられたりするなど、古来、きわめて貴重なものとされています。
中国の古典「詩経」の中に、次のような一節があるそうです。
白圭の玷(か)けたるは、尚お磨くべし。
斯(こ)の言の玷けたるは、為(おさ)むべからず。
この意味は、
白珪はもし瑕(きず)がついても、磨けばまた元の美しさに戻すことができる。
しかし、人の言葉はもし一度言い放ってしまうと、いかなる手段をもってしても、もう取り返すことはできない。
つまり「言葉というものは、おおいに慎まなければならない。」ということです。
もちろん、私たちは、他人の言い過ちを許したり、忘れたりすることができます。
しかし、一旦、この宇宙に発せられた言葉というものは、どうやっても取り戻すことはできず、消去、削除することはできないのです。
ついつい、心にまかせて、安易に言葉を発してしまいがちな私たちにとって、とても厳しい、戒めの句であると思います。
さて、この句は、本来、以上のような意味なのですが、転じて次のようにも解釈されているようです。
白圭は高貴で清浄で、すでに完全無欠なものである。
しかし、まだ磨けば磨く余地があり、さらに磨けばいよいよ清らかなものとなる。
禅の道もまた同じで、小成に安んぜず、さらに磨いて向上せよ。
( 参考:『新版一行物 禅語の茶掛』)

さて、今月より、稽古場は風炉に替わりました。
点前の一番の基本である、薄茶、運び点前に戻り、これから半年、風炉のお稽古をして参ります。

茶の湯の道も、どこまで行っても終わりはなく、さらにさらに自己を磨き、精進する余地があるのです。
2011/9/3 11:48
投稿者:tomoko
2011/9/2 15:58
投稿者:やっくん
本日、私がお稽古で教わった句です。解説を読んで、初心者の私には、当てはまらない句だなぁと思った次第です。
勉強になりました、ありがとうございます。
勉強になりました、ありがとうございます。



最近お茶を始められたのですか?
お稽古場にこの言葉をお掛けになった
先生のお心深くを
どうぞお考えになってくださいませ。
もしかしたら
やっくんさまのために
掛けてくださったのかもしれませんよ。。。