2009/10/22
開門多落葉 禅語

『開門多落葉』(門を開けば 落葉多し) 黄梅院太玄師
雨を聴いて寒更(かんこう)尽き
門を開けば落葉多し
(唐代の詩僧・無可上人の詩より)
意味:
「雨音を聴いているうちに寒い夜更けが過ぎ、夜が明けたので門を開けてみると、あたり一面に葉が落ちていた。
一晩中聴いていた雨音は、朝になってみれば、実は軒端をたたく落ち葉の音だったという幽寂な閑居の風情」 (『茶席の禅語大辞典』より)
ここで「開門」とは、単に門を開くということだけではなく、悟りを開くという意味も含まれているといいます。
つまり、門を開くという言葉は、今の今まで雨音だとばかり思っていた音が、実は落ち葉の音だったことを悟った瞬間、悟りを開いた瞬間を表しているということでしょうか。
想像してみると、それはある意味、世界が一瞬にして大転回したともいえる瞬間ともいえるでしょう。
冷たい夜具にくるまって、真っ暗な秋の夜長、一晩中打ち付ける「雨音」を聞きながら、身も心も冷え切っていたかもしれません。
ところが、刻々と時が過ぎ、やがてゆっくりと一夜が明け、何気なく門を開いたその瞬間、冷たい雨にぬれていると思いこんでいた世界が、一変して、一面落ち葉に覆われた乾いた世界となって目の前に開けたのです。
そうなると、夜更けに聴いていた「雨音」は、『幻影』だったということになります。
門を開けば、つまり、心の門を開き、悟った目で見れば、雨など最初から降っていなかったということでしょうか。
この句は、解説書を読むと、「幽寂な閑居の風情」また「大死一番した後のカラリと開かれた心境」と書かれています。
その真意は、とうてい私の理解できるものではないかもしれませんが、もしかしたら、
「悟ったその時、瞬時に、世界は変わる」
「自分の心が変わること、それが即ち世界そのものを変える」
つまり、
「森羅万象、この宇宙は、自らの心が生み出している」
その真理を読み取ることもできるかもしれないと、『開門多落葉』という句を見ていて感じました。

