「日本一有名な飛び地(和歌山県東牟婁郡北山村)…日本列島飛び地の謎

」
日本全国に飛び地は多いのですが、これほど有名な飛び地は他にありません。日本地図レベルの地図上にはっきりと記されている飛び地はここだけですよね。今日はこの飛び地の話題を拾ってみます。

では、まずはこの本から抜粋します。
「日本で最もよく知られている飛び地といえば何といっても和歌山県の飛び地だろう。和歌山県の飛び地とは、三重、奈良、和歌山の3県の県境が交差する付近にある北山村と新宮市(旧・熊野川町)の飛び地のことである。なかでも、北山村は、村が丸ごと飛び地になっている全国で唯一のケースで、県の飛び地としても全国一大きい(48.2ku)。
それだけに、なぜこのような飛び地が発生したのか興味をそそられる。北山村は熊野川支流の北山川の右岸に開けた山村で、峡谷で名高い瀞峡があることで知られている。良質な吉野杉に恵まれ、古くから林業で栄えた村だ。北山村で伐採された木材は、筏を組んで北山川を下り、熊野川を経て木材の集積地の新宮市に運ばれていた。このように、北山村と熊野川河口の新宮市とは、経済的に強く結ばれていた。
飛び地が発生した直接の原因は廃藩置県にあるが、飛び地が現在まで消滅することなく存在しているのは、北山村と新宮市の深い関係にあったといえる。1871(明治4)年7月に断行された廃藩置県で、旧国の国境がそのまま県境に受け継がれていれば飛び地が生まれることはなかった。ところが、和歌山県と奈良県の県境は紀伊と大和の国境とされたのに対し、度会県(後の三重県)との国境は、国境ではなく北山川および熊野川が県境に定められた。そのため、紀伊、大和の国境と北山川に挟まれた部分、すなわち北山村の全域と旧・熊野川町の一部が飛び地になってしまったわけである。
本来なら、この時点で北山村および旧・熊野川町の一部は奈良県に編入されるべきだったのかもしれないが、北山村は新宮市との結びつきが強かったため、奈良県への編入を拒んだ。地図上で見れば、たしかに北山村は奈良県と地続きになっており、奈良県に編入されるのがごく自然に思えるが、よくよく見るとそうでないことがわかる。北山村から奈良県へ直接通じている道路は1本もないのだ。また、三重県とは北山川で分断されており、ほとんど交流はなかった。河川交通が唯一の交通手段であった当時、北山村が和歌山県にとどまったのは、地理的、歴史的に見れば至極当然のことだった。
しかし、車社会が到来するとそれまでの舟運は衰え、トラック輸送に切り替えられていった。それについて和歌山県新宮市との経済的な結びつきも次第に弱まり、道路が整備されてくると、三重県熊野市との結びつきが深まっていったのである。
このような時代の流れから、平成の大合併では県境を越えて三重県熊野市との合併を模索する動きもあった。実現はしなかったものの、和歌山県の飛び地が消滅する可能性があったのは確かだ。だが、北山村の住民は経済的な結びつきよりも、歴史的な絆を優先した。住民投票でも、三重県熊野市との合併よりも和歌山県新宮市との合併を選択する声のほうが高かった。新宮市と合併しても、和歌山県の飛び地であることには変わりはない。結果的には、北山村と新宮市の合併も実現しなかった。」

この日本一有名な飛び地は、消滅の危機を乗り越えて和歌山県に踏みとどまりました。現在の生活よりも歴史的な絆を重視するという、ロマンたっぷりの選択をした北山村。一度行ってみたい場所です。しかし、険しそうですね。

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