2011/9/23
石狩ハマ旅@弁天歴史公園 大好き!いしかり
「石狩ハマ旅」つづき・・・
「石狩魅力発見!北海道を探そう」
石狩市と季刊誌「KAI」(カイ)のコラボツアーです
鮭づくしのお昼ごはんと、食後のスイーツでお腹が満たされたあとは
ボランティアガイドさんの案内で「弁天歴史通り」をウオーキング!
メモを片手に、ワタシも”ふるさと学習”です。

まずは「先人たちの碑」について、深い〜話を聞いたあと・・・
詳しくはこちら

石狩市で一番歴史のある「弁天社」へ
今回、初めて中へ入ることが出来ました
安政5年には、松浦武四郎も石狩を訪ね「川端に弁天社あり。社殿美々立たり」と日記に書いているそうです。

「弁天社」は、珍しいことにかつての石狩川の主「チョウザメ」が『妙亀法鮫大明神像』という神様としてまつられているのです。
はい、略して「鮫様」です
詳しくは⇒こちら
らん間の竜の彫刻や唐草模様も見ごたえがあると、過去に本で読んだことがあり・・・
写真におさめようとするも・・・
これ・・・竜?か・・・?
(センスの無い撮り方に唖然・・・)

なんと・・・安政3年に描かれたという巨大!「絵馬」が、惜しげもなく・・・
どーんと2枚〜3枚と壁に・・・
素人ながらも、「こんな保存の仕方で良いのかなぁ〜」と少々心配になる。
あちこちから「これ、お宝鑑定団に出したら、すごい価値があるものなんでない?」のささやきが・・・
武四郎も、この絵馬を見たのかなぁ〜

「関羽正装図」(かんうせいそうず)
この絵は、中国の三国志に出てくる英雄「関羽」で井上昌文が描いたものである。昌文は越後の人で、絵を谷文晃に学んだ。「関羽」は中国では武の神、また信義を重んじたことから商売繁盛の神、このほか学問の神として信仰されている。日本では水戸光圀、足利尊氏が信仰していた。(案内板より)
あ〜、そういえば水戸光圀も蝦夷地探検?で、石狩に滞在したので「関羽」なのかなぁ〜
アイヌの人達を、当時日本一大きな船「快風丸」に招待し、交流(酒盛り)を深め、鮭や毛皮、生きた丹頂や黒百合、シマふくろうなどをお土産にもらって帰ったとか・・・
「弁天社」の社殿は、最初は弁天町1番地(現在の八幡神社の場所)に建てられたということで、八幡神社には、当時の弁天社の鳥居が残されています。(5月に”ハマぶら”した時の写真です↓)

続いて向かうは「楽山居」
「旧石狩病院」の和室部分を昭和12年に増築したものだそうです。
建築当時、院長の鈴木信三さんは俳句結社「尚古社」の中心的な社員。この和室は「楽山居」と号され、句会の場として、また石狩を訪ねた画家の画室として文化人の集まるサロンでもありました

石狩市では、道央地区最古の俳句結社「尚古社」が結成された関係で、本町地区を中心に俳句が大変盛んに行われていました。
「弁天歴史通り」には、そこここに「句碑」が建っているのです。
石狩は「俳句」のまち・・・
ここで、一句・・・
ん〜〜〜〜、浮かばない・・・汗
勉強熱心な参加者の皆さん・・・
頭が下がります。

飛び石を歩いて向かう先には「つくばい」が・・・

なんと・・・このつくばい「水琴窟」なんです。
水を流すと・・・「カランコロン〜」とやさしい音が反響します。
「あ!聞こえた〜」と・・・言ってるのかな?

残念だったのは・・・
時間の関係で「楽山居」の中に入れなかったこと・・・
立派な茶室もあるとのことで、中をのぞいてみたかったわ〜
ここで、ふと我が家の茶室(開かずの間)を思い出す
ただ、和室に炉を切ってあるだけなんですけどね・・・立派な物置になってます。
そーーだ!
シーズンオフになったら、和室を片付けて
お世話になってる人達を我が家に招待し「お茶会ごっこ」をしようって!妄想中(笑)
早く11月にならないかなぁ〜
ここで、ボランティアガイドさんとお別れし・・・
急ぎ足で「長野商店」へ向かうのでした

つづく・・・
「石狩魅力発見!北海道を探そう」
石狩市と季刊誌「KAI」(カイ)のコラボツアーです
鮭づくしのお昼ごはんと、食後のスイーツでお腹が満たされたあとは
ボランティアガイドさんの案内で「弁天歴史通り」をウオーキング!
メモを片手に、ワタシも”ふるさと学習”です。

まずは「先人たちの碑」について、深い〜話を聞いたあと・・・

石狩市で一番歴史のある「弁天社」へ
今回、初めて中へ入ることが出来ました
安政5年には、松浦武四郎も石狩を訪ね「川端に弁天社あり。社殿美々立たり」と日記に書いているそうです。

「弁天社」は、珍しいことにかつての石狩川の主「チョウザメ」が『妙亀法鮫大明神像』という神様としてまつられているのです。
はい、略して「鮫様」です
らん間の竜の彫刻や唐草模様も見ごたえがあると、過去に本で読んだことがあり・・・
写真におさめようとするも・・・
これ・・・竜?か・・・?
(センスの無い撮り方に唖然・・・)

なんと・・・安政3年に描かれたという巨大!「絵馬」が、惜しげもなく・・・
どーんと2枚〜3枚と壁に・・・
素人ながらも、「こんな保存の仕方で良いのかなぁ〜」と少々心配になる。
あちこちから「これ、お宝鑑定団に出したら、すごい価値があるものなんでない?」のささやきが・・・
武四郎も、この絵馬を見たのかなぁ〜

「関羽正装図」(かんうせいそうず)
この絵は、中国の三国志に出てくる英雄「関羽」で井上昌文が描いたものである。昌文は越後の人で、絵を谷文晃に学んだ。「関羽」は中国では武の神、また信義を重んじたことから商売繁盛の神、このほか学問の神として信仰されている。日本では水戸光圀、足利尊氏が信仰していた。(案内板より)
あ〜、そういえば水戸光圀も蝦夷地探検?で、石狩に滞在したので「関羽」なのかなぁ〜
アイヌの人達を、当時日本一大きな船「快風丸」に招待し、交流(酒盛り)を深め、鮭や毛皮、生きた丹頂や黒百合、シマふくろうなどをお土産にもらって帰ったとか・・・
「弁天社」の社殿は、最初は弁天町1番地(現在の八幡神社の場所)に建てられたということで、八幡神社には、当時の弁天社の鳥居が残されています。(5月に”ハマぶら”した時の写真です↓)

続いて向かうは「楽山居」
「旧石狩病院」の和室部分を昭和12年に増築したものだそうです。
建築当時、院長の鈴木信三さんは俳句結社「尚古社」の中心的な社員。この和室は「楽山居」と号され、句会の場として、また石狩を訪ねた画家の画室として文化人の集まるサロンでもありました

石狩市では、道央地区最古の俳句結社「尚古社」が結成された関係で、本町地区を中心に俳句が大変盛んに行われていました。
「弁天歴史通り」には、そこここに「句碑」が建っているのです。
石狩は「俳句」のまち・・・
ここで、一句・・・
ん〜〜〜〜、浮かばない・・・汗
勉強熱心な参加者の皆さん・・・
頭が下がります。

飛び石を歩いて向かう先には「つくばい」が・・・

なんと・・・このつくばい「水琴窟」なんです。
水を流すと・・・「カランコロン〜」とやさしい音が反響します。
「あ!聞こえた〜」と・・・言ってるのかな?

残念だったのは・・・
時間の関係で「楽山居」の中に入れなかったこと・・・
立派な茶室もあるとのことで、中をのぞいてみたかったわ〜
ここで、ふと我が家の茶室(開かずの間)を思い出す
ただ、和室に炉を切ってあるだけなんですけどね・・・立派な物置になってます。
そーーだ!
シーズンオフになったら、和室を片付けて
お世話になってる人達を我が家に招待し「お茶会ごっこ」をしようって!妄想中(笑)
早く11月にならないかなぁ〜
ここで、ボランティアガイドさんとお別れし・・・
急ぎ足で「長野商店」へ向かうのでした

つづく・・・


