北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
飯田東中学校から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、現人間国宝である二代目青木鈴慕に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
その後も「末の契り」「泉」など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2016(平成28)年、芸歴(芸道・竹道)50年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩5分)
     
      電話 042−668−1278

稽古日 日曜日(午前中は予約有り、午後3時から空きあり)・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲 など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、毎年秋には稽古場で発表会をします。

平成27年秋の「おさらい会」での私の演奏は「春の海」
平成28年秋は「かがり火」「泉」
平成29年秋は「雲井獅子」「萌春」

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、緑線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


お知らせ掲示板(4/19) 門下生の皆さんへ

5月3日(木・祝)は三代青木鈴慕襲名披露演奏会が国立小劇場で行われます。
開演は正午から終演予定は午後7時の予定です。

5月13日(日)は稽古が出来るようになりました。
春の合奏練習会を5月27日(日)午後1時から実施します。
曲目は「千鳥の曲」「軒の雫」「遠砧」「高麗の春」

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2018/3/21

諏訪〜南信州  旅行

3月17日(土)朝7時29分発の八王子駅から、新型車両E353の「特急あずさ」に乗り、先ず上諏訪駅に向かった。

新幹線並みとはいかないけれど、揺れは少なかった。全席コンセント付きである。
富士山の見える左側の席を確保して、まさに良い天気で、よく見えた。

母の一周忌で田舎(飯田)に行く途中で上諏訪に寄ったのだ。

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上諏訪駅には9時14分着。時間の余裕があったので諏訪湖畔を歩き、「原田泰治美術館」を見学することにした。

諏訪湖に着いたところ、目の前に「D51」が展示してあった。
機関車は小学5年生の時、修学旅行で諏訪に来て初めて見た時、その車輪の大きさにびっくりした事を思い出した。
(飯田線は電車だから、汽車は知らなかった)

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上諏訪駅から諏訪湖畔を歩くこと、約35分で「原田泰治美術館」に着いた。
さすがに諏訪の風は冷たい。今の時期、晴れれば高い山に残雪がキレイだ。

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「原田泰治美術館」を訪れるのは3回目である。父の米寿のお祝いを諏訪のホテルで行った時と、私の家族と来たことがあった。

今回の企画は「美しい日本の童謡・唱歌展」であった。
実はこの原画展は、東京大丸ミュージアムで開催された時にも私は見に行って、原田泰治先生と写真を撮っていただいた。

その写真を撮ってくれたのが、高校同級のK君であり、今ここの館長だと聞かされ、びっくりしてしまった。

原田泰治の絵は朝日新聞の日曜版で知り、切手にもなったし、細かいところまで良く書かれていた。

素晴らしい絵画を見学して、カフェもあったので上諏訪駅前で昼食の予定を変更して、丁度11時になったのでここでランチにすることにした。100円の割引券をいただいたからである。

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ガラス張りのカフェから諏訪湖を望み、「梅としらすピラフ」をいただいた。「サラダ」「コーヒー」付きである。連れは「サンドウィッチ」でデザートの「ヨーグルト」付きだった。
(ガラス越しに写したが綺麗に撮れた)

今冬は格別寒く、全面結氷で御神わたりが見えたと言うニュ―スはご存じだと思う。
私の自慢はここで小さい頃、父に連れられてスケートをしたのである。
飯田から朝早く電車に乗り、一日がかりだった。

さらに「白樺湖」や「蓼の海」までバスで登り、スケートをした事もあった。屋外の天然氷だったので足元の冷たい事、この上なかった。

私の全盛期は清水宏保より遅いが、結構速かったよ。今でも自信はある。

「原田泰治美術館」から上諏訪駅行バスの時刻が合わず、タクシーを呼んだ。
上諏訪駅13時08分発の松本行に乗り、岡谷駅で飯田行に乗り換えた。

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めざすは飯田線の伊那大島駅で、15時22分着の予定だった。

ところが岡谷駅から「客の対応」で5分遅れで出発して段々遅くなり、ついに12分程遅れた(ほとんど無人駅だから、各駅で車掌が切符を回収したり、発行したりで忙しい)ので、伊那大島駅まで迎えのマイクロバスを予約した手前、心配をしていた。

宿は「まつかわ温泉清流苑」だ。
事前予約の時に「着いたら電話しましょうか?」と聞いたら「しなくても良い」と言う返事であった。

ところが下り電車と上り電車が同時に着き、下りが先に出発して、我々は飯田行の上り電車が通り過ぎるまで遮断機が上がるのを待っていた為、遅くなってしまい、マイクロバスが我々を置いて出発寸前だった。

あわてて車に手を振って載せてもらった。「もう来ないかと思った」と運転手さんに言われたが、我々二人きりの迎えであった。
(やはり電話しておいた方が良かったのかも知れないと思った)

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人気があるらしく駐車場はいっぱいだった。宿泊しなくとも温泉だけでも利用が出来る。

「清流苑」は松川町の経営で、実は深津町長は高校の同期で、東京の大学寮「信陽舎」でも一緒だった。
そんな事もあり、今回宿泊地に選んでみた。

夕食は6時からだったので、先ずお風呂に入った。
脱衣場で下着を脱いで、まさに入ろうとした時に「北原君」と声がかかった。

隣をみると、高校同級だったS君だった。彼は東京から地元に帰り、「3月いっぱい有効の温泉の割引券があるから」と来たらしい。

天然温泉で、しかも薬湯、スーパージェット、ラジウム、足湯、露天風呂、サウナと素晴らしい温泉だった。

夕食は宴会場で、「歌謡曲」が流れていた。「珍しいな」と思ったら、「清流苑情歌」だと言う。「林を通れば 蝉しぐれ−−−愛の宿 ああ 松川の 清流苑」

先ず生ビール。食前酒、ホタルイカ酢味噌、刺身、鯛花びらき焼き、しらうおの玉子とじ鍋、茶わん蒸し、鯉の甘露煮、春の天婦羅(独活=うど等)、ちらし寿司、デザートなどで腹一杯だった。

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清流苑のロビーを飾る、吊るし雛。

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18日(日)は6時に起床で、すぐに風呂に入ると誰も入っていなかった。さすがに露天風呂は寒いから止めた。
私一人の貸切を満喫する間もなく、オジサンたちがゾロゾロ入って来た。

朝食は通常8時のところ、電車の都合で7時30分にしてもらった。
サラダ、温泉玉子、アマゴ開き、キノコ入り鍋、納豆、ノリなどで、さらにクロワッサンやコーヒーも飲めた。

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          伊那大島駅から南アルプスを望む

飯田まで行くのに八王子駅から飯田駅まで通しで(3日間有効である)乗車券を買えば良いものを、何故か勘違いして伊那大島駅までを買ってしまったので、又飯田駅までの切符を購入しなければならない、という事にやっと気が付いた。

再びマイクロバスに乗せていただいて、伊那大島駅に着いた。
駅窓口で切符は買えた。駅ホームの待合室で80歳過ぎの元気なおばさんに方言で話しかけられた。
「わしゃーずっと伊那大島で住んでおるんだに」「清流苑を褒めてくれてうれしいよう」

伊那大島から見た南アルプスは壮大だ。写真では分からないが塩見岳などが遠くにそびえたっている。

電車は9時8分発の飯田行に乗る。

9時35分に飯田駅に着き、時間が無いので実家には寄らず、法事の会場である箕瀬町の「長源寺」に向かった。

10時に長源寺集合だったので、朝一番の中央高速バスでは間に合わず、一泊したのだった。

10時に親類も集合、10時30分から母の一周忌の法要開始。墓参りも済ませて「今宮半平」で昼食。

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「半平」さんの社長ご夫婦は飯田高校の後輩だとの話だった。
法事コースで刺身、鍋、天婦羅などで腹が一杯となり、写真の後に出て来た名物の「五平餅」は食べきれず持ち帰った。

帰りは飯田駅前発午後4時の「中央高速バス」で我々は一番前の席だ。途中富士山がうっすら眼前に見えた。

小仏トンネル辺りから渋滞で1時間30分遅れた。その為に、車中で「五平餅」が食べられた。相変わらず美味い味だ。

我々は「日野バス停」で降りたが、二人きりだった。こういう時は一番前の席が有効である。
「多摩モノレール線」の「甲州街道駅」まで歩き、高幡不動駅から「京王線」に乗った。

高幡不動駅から何と新しい座席指定車「京王ライナー」に、「これから先は座席指定券なしで乗れます」の表示があり、これまた新型車両に乗れた。

「北野」までひと駅で空いており、ほとんどの席が前向きである。自宅には22時過ぎに着いた。

このブログを書いている21日(春分の日)に何という事だ。雪が降り積もったではないか。
旅行中は天気に恵まれた事に感謝する。

4月に入ると桜で有名な高遠城址公園はJR「伊那市駅」からバスで行ける。
見事な桜見学の後に「松川町」にある「清流苑」に寄ったらいかがだろうか。
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2018/3/20

たまプラーザで落語  芸能

たまプラーザとは「田園都市線」の駅名である。
今では都心の「半蔵門線」とつながっており、溝の口でも「大井町線」に接続する。

昔の私の記憶によると、なんでも「プラーザ」なんてぇ英語の名前を付けたのは、日本で初めてだそうである。

私がその「たまプラーザ」の駅前の百貨店に勤務していた頃の話だ。
経理を担当していたから、渋谷の大手銀行に行って「たまプラーザ」と言ったところ、若い女性に「鎌倉?」と聞き返されたり、何を想像したのか笑い出されて、恥ずかしかった。

「たまプラーザ」を略して「たまプラ」に3月13日(火)久しぶりに行って来たのだった。
それは「わっしょい!落語会」=立川談修落語独演会があったからである。

既報のとおり、談修との仲であるから、彼のHPを見て狙っていた。
ところが、一か月以上前から「予約で満席」の表示があって、「キャンセル待ち状態です」を見てあきらめかけていた。

それでもと思って直前に事務局に恐る恐る電話をかけたところ留守電で、一度は「やめようかな」と思った時に、先方から「着伝を見て電話」をしてくれた。

事務局すなわち「遊馬亭保育」さんがプロデュースで、私は「以前たまプラで働いていた事と談修さんとの仲を話した」ところ、聴きに行く事が出来た。

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もう10何年ぶりかなあ。たまプラ−ザ駅前は近代的にすっかり変わり、百貨店の広告塔も「東急SC」から「たまプラーザTERRACE」に変わっていた。

開店時の昭和57年10月2日からもう35年で、5Fのレストランは全ての店舗が入れ変わった。
時代の流れで売り場も変わり、5Fに子供服売り場が移り、4Fの家具売り場は無くなっていた。

見学はそこそこに落語の会場に向かった。
場所は百貨店の右横を通って、10分で会場の「さんかくBASE」に着いた。

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実は昨年も違う場所での「たまプラ−ザ談修落語会」があり、満席であきらめていた。

だから今年は何としてでも行きたかった。

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会場に入って満席(50席くらい)の理由が分かった。「遊馬亭保育」さんがプロデュースして近隣のお客さんを集めて、毎月様々なイベントを企画しており、皆さんは名札を付けていた。
(来月はバスで都内の桜見学、国会議事堂の見学をするそうだ)

従って遠くから行ったのは私だけだった。
11時30分から「ランチボックス」をいただく。入場料は落語とも2000円である。

落語は12時30分から始まった。

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演目は3題で「一目(ひとめ)上がり」「長短」「蛙茶屋」であったが、ネタはあらかじめ聞かされていなくて、終了後に貼り出すと言われていたから、客は知らされないで落語を聴きだしたのだった。

談修のマクラは「最近、落語を聴きに来る人が多くなって参りましたが、後期高齢者が多い。」「たまに真ん中あたりに大変な美人が座っている時がある。」「そういう時は、そわそわして、落語を忘れたり、話があっちに行ったりこっちに行ったりと始末が悪い。」「その点、本日はやりやすい」と先ず笑いを取る。

と知らない内に「落語」にすっと入った。
「落語」は何回か聞いたことがあるから、何の演目かを考えたが知らない演目だった。

実は終了後に私は演目を見ないで帰って来てしまったので、話を思い出すしかなかった。
ネットで調べて「一目上がり」と「蛙茶番」は分かったが「長短」のキーワード」を入力しても出てこなかった。

「演目」を寝ながら考えたが分からないので「保育」さんにメールしたところ、親切に返信が来た。「長短」であった。

「一目上がり」は「七福神」とも称される。
掛け軸を褒める話で、「賛=サン」から始まり「詩」「悟」、六が無くて「七福神」、八が無くて「芭蕉の句」が落ちとなる。

さらに「長短」や「蛙茶番」の詳しい内容は書き切れないので、興味のある方はネットで調べて欲しい。

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談修師匠は滑舌良く聞きやすい。とにかく私自身良く笑った。

修了後に談修さんに会い、飯田市での共演のチラシや、その時の地元の新聞を見せた。
落語の「文七元結」の菩提寺「長昌寺」の住職は「私の同級生だ」と言ったところ、「そうだったんですか」

記念のツーショットの写真だが、私はアップに耐えられないのでトリミングしてしまった。

このところ立て続けに落語の話になってしまい、尺八より落語のブログが多くなってしまった。
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2018/2/15

木久扇は元気  芸能

2月12日(月・祝)に八王子オリンパスホールにて開催された「八王子2017あきんど祭りー新春お笑いチャリティー演芸寄席」に行って来た。

2017とは古いが、昨年末に八王子商店会連合会に加盟する商店で買い物をした方に抽選で招待があった。
私の住まいのめじろ台には「めじろ台商店会」と「めじろ台駅前ショッピングセンター」がある。

実は妻の知人から2枚頂戴したのだった。チケットにはペア1000組2000名様ご招待とある。

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当日は午後2時30分開場の3時00分開演だったので、八王子駅には1時30分に着き、駅ビル南館の「凛や」で昼食をとろうとした時、かなりの人数が列を作ってオリンパスホールに向かって移動していた。
それを見て1階席をほとんどあきらめていた。

「凛や」では少し待たされてから「季節の天婦羅御膳」をいただいた。ここは蕎麦が新潟の「へぎそば」を使用している。
かやくご飯、暖かい蕎麦、天婦羅、和菓子付きでボリュームもあり、美味しくいただいた。

2時過ぎに「凛や」を出て、会場に向かった。
案の定長蛇の列で、それでも開場は10分程度早めに始まり、順序よく並んで会場に入った。

かつて知っている会場ゆえ、1階の入口から右側の席をめざして急いだ。
1階席の中間の通路よりやや後ろの右側のいい席を確保出来た。前の席とは重ならず、舞台は見易かった。1階席はほぼ満席であった。

3時ちょうどに始まった。司会は桂幸丸(ゆきまる)で桂米丸の弟子である。
HPによると63歳で「芸名は音で読まないでほしい」と書いている。

この司会が実に面白く上手く、聞き易かった。時に「ものまね」を入れたりして進めた。

先ずは八王子商店会連合会の会長や、石森市長などの挨拶があって、八王子第一小学校合唱団による歌唱があった。

「上を向いて歩こう」や「たとえば君が傷ついて」と歌い出す「ビリーブ」を上手に歌ってくれた。
「上を向いて歩こう」は手拍子と一緒に歌え、と言われて歌った。この一体感がいいね。

続いて曲芸は太神楽(だいかぐら)の「鏡味味千代」(かがみみちよ)で30歳過ぎてから芸の世界に入門だと言うから驚く。

五階茶碗はオーソドックスに口に棒をくわえてその上に、バランスをとって板や、毬、茶わんなどを次々と載せて行く。時々しゃべくりもしながらの芸だから大変だ。

海老一染之助、染太郎よろしく「傘」の上に毬を回したり、最後は四角い升だ。見事であった。
「おめでとうございます」

司会を務めた「桂幸丸」は福島県出身の日本大学出であり、92歳になる桂米丸の話、物まねや「吉田茂伝」で笑わせた。落語と言うより漫談であった。

休憩をはさんだ後は「東京五輪音頭」をおばさん達がそろいの浴衣を着て踊った。
当時の三波春夫は知っているが、今度は「2020東京五輪音頭」を石川さゆり他が歌っている。

ただ、歌詞を変えて「あの日ローマで眺めた月が」が「あの日リオデジャネイロで眺めた月が」と変わっただけである。テンポは速く、踊りも忙しい。

林家木久蔵は「笑点に出ている黄色い着物の息子です」と開口一番でどっと笑いを取る。
以前より滑舌が良くなり、落語も上達した。

三味線漫談は「林家たい平の一番弟子の林家あずみ」で、「一番弟子と言っても実は私しかいないんです」
三味線を弾きながら、歌いながら、ダジャレも言いながらの芸である。
京都出身で美人の上に三味線も歌も上手い。「ここは八王子ですから、長崎ぶらぶら節を歌います」なんて笑わせる。

「おてもやん」や「おきよ しゃもじ」はそれだけの歌詞を三下り・本調子・二上りと三味線の調子(調絃)を頻繁に変えながら歌った。

大トリは「木久ちゃん」こと「林家木久扇」である。
80歳になると言うのに、TBSの収録を終えて駆けつけたと言う。元気である。

舞台に出たと思ったら、いきなり左側の客席に向かってお辞儀、真ん中でお辞儀、最後は右側の客席に向かってお辞儀をしたと思ったら、舞台の袖に引っ込んでしまった。

早速「ボケ」の演出である。「笑点」の黄色い着物でなく、普通の地味な着物だった。
一時期、喉頭がんで声が出ず「笑点」でも苦しんでいた時期があり、良く復活したと感心する。

予定通り35分間、滑舌、テンポも良く、「田中角栄」や「立川談志」の物まねや、戦時中のつらい話の中では「空襲警報」のサイレンを上手くやって拍手をもらったら「本当はサイレン鳴らして拍手をしてはいけないんですけどね。」

昭和の懐かしい歌として「みかんの花咲く丘」と「港の見える丘」を歌った。
「港の見える丘」では、「前奏が長い。青い山脈もそうですけどね。どっから歌い出していいのか?分からないような前奏なんですよ。♪バッカバッカパパァーババーバカァ」と前奏を歌い出して「馬鹿馬鹿婆ぁってなんて言ってんじゃないですよ。」など大サービスだった。

よどみなく時間内で終わらすのは流石である。
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2018/2/13

壊れた時計  随想・徒然竹

前回のブログで掛け時計が壊れて捨ててしまおうと書いたが、思い直して修理することにした。
やはりもったいないの精神だ。

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私が結婚した時に後輩からいただいた時計だから、大切にしたかった。
39年間働いてくれたが、電子部品を交換するだけで見事によみがえった。
しかも、くぐもったガラスも綺麗になり、新品同様になってうれしい。

西八王子駅の北口にあるU時計店で、親切なご主人が5千円で直してくれた。
その上、サービスでLEDの懐中電灯までいただいた。

早速、つけて見た。どうも釘にかける場所を前回は外枠にかけていたから、はずれたと思う。
今回はしっかりとかけたから、ドアの反動では落ちないだろう。

主人いわく「これでしばらく持ちますよ」と言われ「時計の寿命より私の方が先に行くかも」と言ってしまった。ひょっとしたら100年持ちますよ。

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この時計は写す時に斜めに置いたから、変な感じである。
考えたら結構、時計をいただいている。
これは会社を卒業した時にいただいた。木枠の真ん中は「たち吉」のお皿の置き時計である。

大和市に以前住んでいた頃、狭い家で置き場所がなく押入れにしまって置いたのだが、引っ越しで見つけた時には乾電池が液漏れして使用不可能の状態だった。

時計はやや見にくいが捨てるには忍びなかったので、新宿のK百貨店の陶器売場「たち吉」で聞いてみた。
「もうこれは取り扱ってはいない」とは言うものの、修理は可能だった。
上記と同じ後ろの電子部品の交換で、よみがえった。
これは大事に○○に置いてある。

兄の結婚返礼品も掛け時計で、我が和室にかけて時を刻んでくれる。
5月に三代目青木鈴慕になる彰二氏の結婚返礼品も置時計で、玄関に鎮座しており、出かける時は必ず見て出かける。

又、私がNHK育成会に通っている頃、「学生三曲連盟」の演奏会で「琵琶と糸竹のための二章」を指揮した時に、お礼として円柱形の置時計をいただいた。

表現は難しいが、上部は丸みのあるガラスで、周りは円柱形のガラスが覆い、中にぜんまい式の金ぴかの時計があるタイプだ。下で振り子にあたる金の玉が4個ぐるぐる回るやつだ。分かるかな?

外のガラスはかぶせるタイプだから、ぜんまいを巻く時にはガラスを割らないように外さねばならない。

下側四隅には、でこぼこの高さを調節する足が付いていた。水平でないと振り子が回らないのだ。
しばらく使っていたのだが、ぜんまいを巻くのがおっくうとなってしまった。
巻かないと時は止まる。

そんな訳で、今はもう手元には無い。
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2018/1/18

正月のテレビ特番  テレビ

落語には、本題に入る前に「マクラ」を語って、知らない内に本題に入るテクニックがある。誠に上手いもんである。

昨秋、聞きに行った立川談修の芸術祭参加落語は、残念ながら受賞できなかった。(落語は大衆芸能部門)
代わりにと言ってはなんだが、音楽部門で「善養寺恵介の尺八独演会」が芸術祭大賞を受賞した。

音楽部門は洋楽、邦楽と分かれてないから大変である。
尺八での受賞はなかなか難しいが、青木鈴慕師も過去に優秀賞、大賞を受賞している。

私はたった一回のリサイタルで満足している、レベルである。
さて、正月に室内に置いておいた花が咲いた。

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左はシクラメン、右はシャコサボテンである。
いずれも昨年頂いたり、買ったりした花を、その後も育てた結果である。
よりによって、シクラメンもシャコサボテンも一輪だけ咲いた。

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両方とも、花後は外に置いていたのだが、芽が出だしてから部屋に取り込んだ。

しかし、シャコサボテンは急な寒さで、取り込んだのが遅く、ことごとく芽が枯れた。
たった一つだけ咲いてくれて、感動した。ありがとう、お礼の為ここに飾りたい。

正月にテレビで特番があった。
「芸能人格付チェック」を元日の夜6時からのテレビ朝日で見た。
100万円のワインと5000円のワインを飲み比べる、プロとアマのジャズバンドを聴き比べる、高額のバイオリンなどの聴き比べなどがあった。

中でも和楽器を使った聴き比べが、私も試された。

プロの「日本音楽集団」と「関東学生連盟」は三曲合奏の「八千代獅子」だった。
「関東学生連盟」は早稲田大学、明治大学、法政大学などの選抜である。

何れも最初の同じ部分を演奏した。二組演奏した後、私も実際は迷った。
しかし、もう一度聞かせてくれた時の、尺八の音色、音の伸び、迫力、安定感は「プロ」だった。

さすが、YOSHIKIは正解だった。

偶然だったが、1月6日の午後、TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」を聞いていたところ、「今週のスポットライト」のコーナーで尺八が聞こえてきた。

なんとドイツ人の「アーミン・ローベック」さんで、チェロの奏者でありながら、尺八も演奏すると言う。

日本に何か月間か来て、竹盟社の松山龍盟氏に習ったそうで、スタジオで尺八古典本曲「下野虚霊」を演奏した。久米宏が盛んに「いい音ですね」と言っていた。

その松山氏は山口五郎の弟子で、私が新宿で印章店を経営していた頃、名刺の注文や、お弟子さんが師範になった時に上げる「角印」を注文頂いた。

16日にはNHKラジオ朝の「すっぴん」に邦楽ジャーナル編集長の田中隆文氏が出演して、邦楽界に付いて語り、自らも尺八持参で、尺八本曲のある部分を演奏していた。
やはりアナウンサーは「いい音ですね」と言っていた。

余談だが、1月14日に不覚にも結婚時に会社の部下に頂いた大事な掛け時計を壊してしまった。
100年は経っていないが、丸いSEIKO社のクォーツ時計である。

裏面には結婚式を挙げた記念日の「壽 昭和53年11月17日」と金色で書かれている。
私の洋間の押入の扉をちょっと強めに閉めたところ、漆喰の壁にかけてあった時計が反動で釘から飛び出してしまった。

針がだらりと垂れ、裏側の電子機器が壊れ、歯車など部品が飛び散った。
記念の時計だから直したい気持ちもある。だが、もう39年間も働いてくれたから処分しよう。

幸い2階に亡き義母の掛け時計が余っていたから、それをかけて置いた。

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2018/1/13

星野仙一氏死去  スポーツ・健康

喪中だったが、とにかく新年は開けた。

1月6日いつものように朝7時にNHKラジオをつけると、開口一番に「1月4日に星野仙一氏が70歳で亡くなりました」と告げられ、瞬間的に心にグサッと来て、涙があふれあわてて起きた。

70歳は今現在、私と1歳違いではあるが、大学での学年は2年先輩である。
星野仙一氏がM大学野球部に属していた頃は残念ながら、六大学での優勝の経験は無い。

同時期にライバルだった法政大学の山本浩二・田淵幸一らや、早稲田大学にも荒川など凄いのがいたからである。
野球は一人では勝てない。(彼は在学中にノーヒットノーランを達成している)

しかし、彼には不運と言うか、彼が卒業して中日のプロに入ったその春の六大学(昭和44年)にM大学が優勝したのである。なんと皮肉なことであろうか?

我々はその時、学園祭の「和泉祭」で尺八を校外の舞台で演奏する予定だった。
同僚のK君と私がアレンジした、尺八二重奏「子象の行進」を必死で練習していた時に、「優勝したぞ」の一報が入り、「和泉祭」をほったらかしにして、提灯行列に向かった。

ところが、もう終わっていたと思う。(今みたいに携帯やスマホがあったら、情報は早いのに)
結局「京王百貨店」の屋上に向かい、もう「ビアガーデン」は、オープンしていたのでそこへ乗り込んだ。

気勢を上げ、バンド演奏を乗っ取り、「校歌」を歌い出した。
バンドマンも仕方なく、適当に合わせてくれた。

星野仙一氏は岡山県倉敷市出身である。
母子家庭で育てられ、苦労した事だろう。その上奥様に先を越され、可哀そうであった。
「闘将」と呼ばれるが、反骨精神で良く頑張った。

NHKで「ファミリーヒストリー」を見たが、涙ものだった。

その岡山県倉敷出身者が、我が門下生にいるのである。若いE君だ。
長野県と岡山県は不思議な縁?で、年末に高校生同士の戦いがあったのだ。

まず、12月24日の全国高校駅伝競走大会で長野県代表と、岡山県代表が優勝争いをしたのである。

優勝したのは「佐久長聖高校」で、9年振り2回目である。
その模様をテレビで見ていたのだが、途中岡山県代表「倉敷」に追い抜かれて一時二位になった。その後挽回して最後は、トップだった。

12月28日には、全国高校ラグビー大会の一回戦が大阪花園であり、何と我が母校の飯田高校が長野県代表で出場したのである。
しかも相手は、岡山県代表の「倉敷工業」で飯田高校が26対5で勝った。

飯田高校は県立の進学高校ではあるが、毎年のように県大会は岡谷工業と決勝戦を戦っている。
たいしたものである。

しかし、2回戦は神奈川代表の桐蔭学園で120対0で負けた。圧倒的な差であった。
長野県代表になった時に同窓会から、寄付のお知らせが来て、わずかばかりの寄付をした。

「倉敷工業」に勝った時にE君に早速メールをしたところ、誠に残念がっていた。

私は岡山県には最近良く行っている、と言うか通過拠点として行っていると言うべきか。

一昨年11月には、四国旅行の帰りは岡山駅で新幹線に乗ったし、昨年11月の出雲旅行は行きも帰りも新幹線の岡山駅だったので、駅構内を知り尽くしているとはオーバーだろうか?

いやいや駅構内のコンビニや、駅ビルの販売店やレストラン名など良く知っていて、「門下生より知っているよ」なんてな話をしている。

倉敷は以前一人で旅行して、倉敷川一帯と大原美術館などを見たことがある。

「星野仙一記念館」があるようだ。いつか行ってみたい。
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2017/12/28

キタサンブラック優勝  随想・徒然竹

第62回有馬記念が12月24日中山競馬場であり、「キタサンブラック」が優勝した。
騎手は武豊で、オーナーは北島三郎である。

「キタサンブラック」は史上最多タイの中央G1 で7勝目を挙げた。過去には「ディープインパクト」がいる。

レースをテレビで見ていたが、最初から飛ばして先頭で、最後は少し追いつかれそうになった。しかし最後まで先頭だった。

通常の馬より、筋肉が発達していて、登り坂の訓練を何回も繰り返したそうだ。やはり練習がものをいう。

余談だが、私は会社勤めのころ同僚に「キタサン」と呼ばれた。
「北原」だから「キタさん」である。でも腹黒ではないので、ブラックでは無い。

「サブちゃん」とは、私が浅草国際劇場の「北島三郎ショウ」で10日間尺八伴奏をした仲(?)である。

「キタサンブラック」は競走馬としてはこれが最後で引退するが、有終の美を飾った。
私は引退するわけにもいくまい。

競馬はやらないが、思い出がある。1965(昭和40)年の有馬記念は「シンザン」が優勝をした。
「シンザン」は八大競争の勝利数から「五冠馬シンザン」と言われた。

その年だったか、暮れの紅白歌合戦を見た時のことだ。
司会は宮田輝アナウンサーで、男性のコーラスグループ「ダークダックス」の時に「藤田まこと」も現れて、その時「五冠馬シンザンのいななきです」と鳴き声が流された。

藤田まことは役者であり、お笑い芸人、歌手でもある。あだ名は顔が長いので「馬」であって「来年は藤田まこととダークホースと名前を変えます」と笑わせた。

当時は録画するビデオは無いので、テープレコーダーに録音をして、何度も繰り返して聞いたので良く覚えている。

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ブラック関連で思い出した。
これは「長谷園(ながたにえん)」の炊飯土鍋「かまどさん」である。
お茶漬けの「永谷園」と読み方は同じだが別会社で、我が家で重宝している。
東日本大震災の時大停電があり、それまでは電気炊飯器を使用していたのだが、ガスによる土鍋に変えた。

元々は前からあった、料理用の白い土鍋でご飯を炊いていたが、蓋が壊れ、ガラス製の蓋で飯を炊いていた。ところが蒸気孔が無いので見ていないと、すぐに吹きこぼれてしまうので工夫して、割りばしを蓋と土鍋の間にはさんで、吹きこぼれそうになると、あわてて蓋を開けていた。

そんな時にテレビ東京の「カンブリア宮殿」で紹介されたのを見て、直接窯元へ電話して今年の4月に2合用を購入した。

土鍋は約10分間中火で、蒸気が出たら2分後に火を止めて、20分蒸らすだけ。中蓋がしっかり押さえているので吹きこぼれ無く、楽である。
これは旨い。特に最初に目留として炊いた「おかゆ」がとても旨かった。

三重県伊賀市の伊賀焼窯元で、テレビで見た7代目の長谷優磁(ゆうじ)氏の笑顔がとても良かった。

最近ではK百貨店やアートマン、高尾イーアスの「織部」でも売っている。


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こちらは「めしびつころりん」である。
上記「かまどさん」を買う前に、新宿にあった「通販生活」の店舗で見つけた。

「残りご飯の余分な水分を吸う陶器だから、電子レンジで温め直しても味が落ちない」と宣伝文句にあった。これも伊賀焼である。

炊き込みご飯など、大量に作った時などこれに入れて「チン」すれば、パサづかず美味しい。

いよいよ年の瀬である。

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我が家の庭には今年も「万両」の赤い実をつけてくれた。今年は良く出来た方だ。

万両は葉の下に実が成り、千両は葉の上に実が成る。

時々小鳥が来て、実を食べて、そこらへんに糞をするものだから、その糞のところから、又「万両」が生えて来る。
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2017/12/25

吹奏楽フェスティバル  音楽

12月23日(祝)に「八王子市内高等学校吹奏楽フェスティバル」に行って来た。
サブタイトルは「100年目のサウンド〜八王子市に咲く笑顔の花〜」だった。

元ブラバン出身者としては、入場無料の上、どの高校も上手く、垂涎の演奏会であった。

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場所はJR八王子駅の「オリンパスホール」で10時30分に入り、最初から聞いた。
1番目は「都立八王子北高等学校吹奏楽部」のZ.ジ.アヴァレウ作曲「ティコティコ」で始まった。

前から五列目に座ったものだから、すごいボリュームで迫力があった。次の「インザムード」で私はすっかり乗ってしまった。

2番目は「帝京八王子中学高等学校吹奏楽部」の久石譲作曲「千と千尋の神隠しより」他。
高校生だけかと思ったが、中学生も合同で大編成となった。

3番目は「都立翔陽高等学校吹奏楽部」のK.バデルト作曲「パイレーツ・オブ・カリビアン」
4番目は「工学院大学付属中学・高等学校吹奏楽部」の久石譲作曲「もののけ姫セレクション」

もうここで満足していたのだが、11時30分を過ぎていたので、昼食をとる為に一旦外に出た。

12時を過ぎれば飲食店は混むので、いつも早めに行っている。
近くに蕎麦屋「凛や」を知っていたから、駆けつけた。「蕎麦御膳」でこれが美味い。
新潟名物の温へぎそば(カツオ汁が旨い事)と天婦羅は塩で、かやくご飯、和菓子、ゆずゼリーつき。満足して店を出た。

さらに、吹奏楽の休憩時間が12時45分から13時15分までだったので、ベローチェに行って「カフェラテ」を頼みゆっくりした。

午後は10番目から聞く事になったが、会場はかなり混んできた。
「八王子市内中学校合同バンド」は、J.バーンズ作曲「アルヴァ―マー序曲」と「あとひとつ」。
8校の合同であるにもかかわらず、ピッタリと演奏が合い、上手いんだ。
制服が皆違うが、一緒になって音楽を作るのは、楽しい。

11番目は「帝京大学中学高等学校吹奏楽部」のナーゴ作曲「パラダイス・ハズ・ノー・ボーダー」や「カリブソ・クリスマス」より「シルバーベル」。
サンタのコスチュームや帽子が可愛い。

12番目は「都立富士森高等学校吹奏楽部」の西村朗作曲「秘儀V〜旋回舞踊のためのヘテロフォ二―」は現代曲で統一感があり、十分聴きごたえがあった。

冒頭ではいきなり不協和音で始まり、高校生が理解できるのかなと思った位、難しい曲を良くこなしたと感心する。

13番目は「穎明館(えいめいかん)中学高等学校吹奏楽部」の真島俊夫作曲「ナヴァル・ブルー」や「サンバ・エキスプレス」に至っては、スイングは良いし、まるでプロである。

14番目は「八王子実践中学高等学校吹奏楽部」の真島俊夫作曲「ジェラート・コン・カフェ」や「ハウルの動く城」も見ごたえが十分。

15番目は「明治大学付属中野八王子中学高等学校吹奏楽部」のG.ホワイト作曲「吹奏楽のための第一組曲 変ホ長調」とB.ホワイト作曲「愛のテーマ」は、まさに吹奏楽の醍醐味で十分聞かせてくれた。

私が担当した「ユーホニューム」は中低音域で、特に対旋律が素晴らしい。
中音域のホルンやトロンボーン、そして大バス、コントラバスが重厚な低音を聴かせると、もうオーケストラである。

ここにもう一校、飛び入りで入ったが、校名は忘れた。

16番目の「都立片倉高等学校吹奏楽部」の和泉宏隆作曲「宝島」や「ライオン・キング・・メドレー」は最高だ。指揮者がいなくても、生徒たちがきっちりした演奏で、前に出てきて歌まで歌い、マーチングバンドの様に、楽器を右に左に、上に下に、手拍子と忙しい。まさに楽しんで演奏をしているのだ。

片倉高校は全国大会で銀賞を取る等、非常にレベルが高い。

17番目は「八王子学園八王子中学高等学校吹奏楽部」の長生淳作曲「トリトン・エムファシス」やクリスマスヴァージョンだった。

八王子だからと侮るなかれ、片倉高校に限らず、東京都大会でも素晴らしい成績の高校もある。

最後は市内高等学校の合同で、制服が当然ばらばらだ。しかし演奏は凄かった。
曲はおなじみのR.ワーグナー作曲「歌劇 ニュルンベルクのマイスタージンガー」で十分素晴らしい演奏を聞く事が出来た。

その曲の編曲者が「藤田玄播(げんば)」と見てびっくりした。
実は私と面識があるのだった。
私が新宿で印章店を営んでいる時に、お客様として見えて「名刺」を注文されたのだ。

藤田玄播(1937〜2013)は作曲家で吹奏楽のコンクールの課題曲に採用されたことがあり、彼と吹奏楽について話をしたことがあったのだ。4年前に76歳で亡くなられて残念である。

最後は「宝島」で楽しく終わった。

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各高等学校のチラシをいただいた。
八王子の高校は凄く上手い。まるで全国大会のようで、皆上手く甲乙つけがたく、私が審査委員だったらどこに優勝にするかは、迷うだろう。それ位上手いし、ソロでも堂々と前に出て来て、ある人はアドリブ的に、立派に演奏した。

気になったのは、男子が少なく女子が多いのである。
女子ばかりで、重たいユーホニュームや大バスなど持つのは大変で、私も高校の練習では、楽器が重くなり、姿勢が段々悪くなっていった。
その上、唾は出るし、腹が減って仕方なかった。皆さんどのくらい練習をしているのだろうか。

我が飯田高校も今年長野県大会で優勝して、東海大会までは行って銀賞で、全国大会にはあと一歩だったと言う。
私が高校2年生の時には、25人以下の小編成の部で自由曲「フィンランディア」を演奏して長野県大会を制したが、今では50人近くの部員がいるだろう。

皆さん吹奏楽の腕をメキメキ上げ、レベルが高いし、ある高校では7人ものフルーティストを揃え、私の高校では2人だったので、音楽の厚みが全然違うのである。

時々日曜日の朝早くTBSラジオを聴くと吹奏楽の演奏をしている時があるが、プロだと思ったら、「ただ今の演奏は○○小学校の皆さんでした」と放送されていた。驚きである。

高校を卒業しても是非、楽器を続けてもらいたい。せめて音楽に携わってもらいたいし、出来ればその中から、尺八演奏者を目指す人が現れたら、私の本望である。
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2017/12/5

'17出雲旅行記 そのW  旅行

出雲旅行4日目(11月29日 水曜日)
前日の夜から雨が降りだした。旅行中は初めての雨である。

三朝川沿いのホテルだったので、川の流れの音は就寝中もしていた。
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ホテルから見た三朝川。川の右端左岸には露天風呂があり、おじさんが入っていた。

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朝風呂は昨夜とは入れ替え、右の湯に入った。とにかくいくつもの湯船があるので楽しめる。
日本一のラジウム温泉で、回遊式の大庭園風呂である。

ホテルエレベーター前では、7時には朝市を行っていた。
鳥取に来たら、錦織圭が言った「のどぐろ」である。自分達への土産とした。

昨夜、行けなかったホテル近くの「三朝バイオリン美術館」は雨の為、見に行けなかった。

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朝食はシルバー(魚)焼き、梅干し入り茶わん蒸し、天婦羅、湯豆腐、のり、ジュース等だった。

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ラウンジで珍しい「栃の実コーヒー」を飲む。美味い。独特の香りもある。

昨夜にライトアップされた庭園のもみじはきれいだったが、目の前は雨の庭園だった。

向こうに見える茶室みたいなところに、天皇陛下がお泊りになったそうである。

いよいよ最終日である。着替えをしようと思ったら、何とバッジが出て来た。二ケ目である。
考えたら、私はバッジを帽子につけており、初日の晩に「どじょうすくい」を見に行く為に外して、ニットウエアのポケットに入れたのをすっかり忘れていたのだ。

そして翌日、鏡台の前にあるバッジを私が着けてしまったのだ。
妻には悪かった。もちろん添乗員さんには内緒だった。

バスが9時出発の頃には、もう雨は上がっており、旅行中は一度も傘をささなかった。
いよいよ最後の見学地は鳥取の砂丘である。

バスは倉吉市の「鳥取二十世紀梨記念館」、「琴桜銅像」がちらっと見えた。さらに中国庭園や「はわい温泉」を左に見て、日本海に突き抜けた。

その後は、日本海を左に見ながら、沿岸を走る。
座席は毎日指定されるが、7列目だった。隣がいないので妻は左端窓際、私は右端窓際だった。妻は日本海が良く見えたハズである。

浜村温泉を通過するときには、吉永小百合主演「夢千代日記」の話を聞いたり、白兎伝説、鳥取砂丘コナン空港ではまさに飛行機が飛び立って行く様を見られた。バスガイドが走行中に見られるのは珍しい、と言っていた。
日馬富士が乗っていたのかしら。

やがて鳥取砂丘に着き、先ず「砂の美術館」を見学する。
屋外の展示でいきなりトランプ大統領に会う、とは思わなかった。

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ここは毎年テーマを変えており、今年は「アメリカ編」である。
見たい方は、来年の1月3日までである。

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展示室のエントランスは「ハリウッド」で私の好きなマリリンモンローが迎えてくれた。
その他チャップリン、ジョンウエイ、ジャックレモン、オードリヘプバーンかな。

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テーマは「アメリカの音楽」で後方に、ルイ・アームストングも見えた。
やはり砂であるから、写真は上手く写らなかった。

それにしても巨大な作品で、作者もアメリカ人のみならず、ロシア人までもが製作していた。

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奥は「マウントラシュモアとグランドキャニオン」であるが、その迫力が出せない映像で歯がゆい。

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「砂の美術館」を出ると、鳥取砂丘であった。ラクダが見える。

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有名なくぼみである。朝方雨が降ったので砂は湿っていて、砂は飛ばないし良かった。

我々は29日だったが、この砂丘で「ポケモンGO」のイベントが24日から26日まで行われ、約9万人も集めたそうで、週刊誌にはこのくぼみに大変な人出が写されていた。

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確かに、縞模様が出来ている。

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砂丘の突端は高くなっており、その先はやや急な坂で日本海はすぐ目の前だ。
帰りはリフトで上がってきて、着いたところがレストランだ。上手く出来ている。

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昼食は2階に上がり、四段重ねのせいろ(アサリご飯、イカスミ入りそば、鮭、など)と蟹酢、ボタンエビ。

蟹は食べやすかったが、ボタンエビは皮が剥いて無く、何匹も食べるのに手が汚れて、臭く大変だった。旅行中はほとんどが宍道湖(?)のシジミ味噌汁、カニ三昧、エビ三昧だったのは良かったが。

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鳥取砂丘を後にして、バスは鳥取自動車道を通り、一路岡山駅に向かった。
ずっとしゃべり通しだったバスガイドさんは、昼寝タイムを設けてくれた。
旅行中、私はバスガイドさんの話に聴きほれていたし、疲れも無くほとんど寝なかった。

途中ここでトイレ休憩をした後、ご当地ソングとして伊吹友里が歌った「好きだから松江」を歌ってくれた。上手い。
ご当地ソングの水森かおりが歌った「鳥取砂丘」ほどヒットしないので、残念だと言っていた。
(バスガイドさんは松江出身である)

そうこうしている間に、別れの挨拶が始まり、無事岡山駅に着いた。
バスガイドさんが旅行中話しをしていた内容を取って「50年後に又来るよ」と、冗談を言ってバスを降りた。

後は16時53分発の新幹線に乗るだけだが、待ち時間は1時間もあったので、買い物とコーヒーが飲みたかった。

買い物は新幹線の中で飲む「独歩」ビールと、ワンカップ「雄町」は自分の自宅用だ。
岡山駅ビルの「さんすて館」のVIE DE FRANCEでメロンパンとコーヒーを飲む。

やがて「のぞみ42号」が来た。

最高齢は89歳のおじさんで、杖をついてはいるもののカメラに必死であり、奥さんそっちのけで本当にバシャバシャ撮っていた。

旅行中は天気に恵まれて、大社様のご利益があったと思われます。

新幹線の中ではタルタルフィシュサンドと、キッシュロレーヌ、独歩ビールを堪能した。独歩は独特の苦みがあって旨い。

新横浜駅に着く頃、添乗員さんとお別れの挨拶時、デッキで家内が「早くお嫁さんに行くといいですね」と言ったので、私はすかさず「いや、結婚しない方がいい」「何で?」「ずっと添乗員さんでいてくれたら、又会えるから」と言ってしまった。

新横浜駅(19時54分着)では、添乗員さんは一度座席に戻ったが我々が見送っていたので、再びデッキに出てきて見えなくなるまで別れの手を振っていた。
やはり情の厚い日本人である。
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