ネット上で見つけたサイト。その中に武生の昔話を集めたページがある。
題して「武生むかしむかし」。具体的な地名もあって興味が引かれる。
聞いたことがあるのもあるが、初耳なものも多い。原典は何だろう。
地域が散らばっているから、皆さんの近くの話もあるのでは。
載せられている民話の内で、ここで紹介したいのは「弘法さんの柿」。
【弘法さんの柿】
(
汀光庵のホームページの「武生むかしむかし」より引用。)
むかしな、白山村安養寺(武生市安養寺町)に「あげ石」さんという屋号のうちがあったんやと。
秋もふかまったある日のことじゃ、あげしさんのお婆さんが庭先で仕事の手を休めて一ぷくしていると、年老いたみすぼらしい坊さんが通りかかったんやと。
「お坊さん。おつかれでござんしょ、一ぷくしていきなはれ。」
「おおきに、おおきに。婆さんや、そこの木になっているうまそうな柿を、一つしにおくれんかいの。」
「はいはい、この柿ですかいの。いくらでもあげとうござんすんにゃけど。あいにくこれはしぶ柿でござんすんにゃ。」
「いやいや、しぶ柿でもよいわい。一つわしにもらえんかいの。」
人のよい親切なお婆さんはの「あまい柿だったらどんなにええのに、おいしく食べてもらえるのに。」
と残念におもいながら、「はいはい、今とってあげんすや。まっとくんなはい。」といって中でもせめておいしそうに紅く色づいた柿をと、あちこち手でさわってみては、二ツ三ツ、もいであげたんやと。そして皮をていねいにむいて、えんりょがちに、
「こんなもんでほんとによろしんですけの。しぶうござんすや。」とさし出すと、坊さんはニコニコしながらモグモグ食べ出しなはったんやと。
「ああ、うまかった。うまい柿じゃった。」
と前よりニコニコ顔になって、いいなはるんやと。もう婆さんはびっくりしてな、こんなしぶ柿をと目をパチクリしていると、「おおごっそさんになったのお。それじゃ婆さんや、お礼といってはなんだがの、この屋敷にはえる柿の木は、みんな甘柿にしてやるでのお。ではわしはこれから前のお寺で一ぷくしてくるでの。
ごっそうさん。ごっそうさん。」
といってな、近くの専応寺のお寺の前の石に腰掛けてしばらくの間一ぷくすると、「どっこいしょ」と石に手をついて立上がり、どこへともなく姿をけしなはったんやと。
不思議なことやの。石に坊さんの手のあとがくっきりと大きく残っておったそうな。
つぎの年にな、あげしさんの婆さんはお坊さんのいい残したことを思い出し半信半疑で柿を食べてみると、不思議なことじゃ。
甘柿になっていたんやと。しぶ柿をうえてもみんな甘柿に変わっているといの。
「あのみすぼらしい坊さんは弘法大師様やったんやの。ナンマイダ、ナンマイダ。」と手を合せたと。
村の衆もあげしさんの柿の枝をもらってつぎ木をすると、その家の柿も甘柿になるということじゃ。
いつとはなく、口から口へと伝わってな、弘法様の柿とよばれるようになったと。
註 屋号「あげ石さん」
村の中央に、田畑をうるおしているあまり大きくない川が流れている。
昔用水の所に大きな石があり、水があたらない他がったので、その家の先祖が掘起こして、その石をあげたので、田に水が入るようになった。
その時から、「あげ石」「あげし」と呼ばれるようになったという。
実はこれは私の地元の話でちょっと因縁がある。因縁話はMLで。(^_^)