ママは小さい頃から本が大好きです。
絵本に釣られてアデノイドの摘出手術をしたくらい大好きです。
ジャンルは恋愛主題とプロレタリア以外は何でも読みます。でも特に好きなのは推理や歴史や謎が出てくるものでございます。
動物物は感動物語とかは読みません。資料的に医学書とか学術的なもののみですね。
だって、動物モノはイライラしたり、もどかしかったり、感銘受けたり、そして最後に泣かされるんだもん。
プロレタリアートは今流行っているらしいですが・・・、高校時代に「セメント樽の中の手紙」というスプラッタなド貧乏労働小説の感想文を書かされて以来、何でわざわざ金払って時間かけて読んでこんな苦痛を味わねばならんのだ

と避けて通るようになりました。
ちなみに漫画も大好きですが、少年漫画が圧倒的に多いです。何しろ初めて集めた漫画が「リングにかけろ」でしたからね〜。
↓は大抵2週間ぐらいで最低読む本をちょいと並べてみました。
これは大抵寝る時に読む本で、他にはトイレでふんばる時に読む用、とかあるんですが・・・見て分かるように、この時はほぼ推理小説で固まってますな。
銀魂とDグレはかなり好きで、特に銀魂は実は布教活動までしているほど好きです。
歴史モノは日本史は勿論中国、ヨーロッパモノ何でも読みます。
純粋な歴史モノから、時代小説までもう大好きです。
1番好きな作家は池波正太郎ですねー。司馬遼太郎も好きですが、あ、山本周五郎も泣かせるなぁ・・。
ドイツにいた時には日本人同士で送られてきた本を回し読みしたものでした。
(しかし、沈黙の艦隊まで送ってもらっていた日本人は多分私ぐらいだろう

)
子供の時、泣いた小説は3つあります。
@かわいそうな象←これで私は戦争と人間の身勝手さに怒りを覚えました。
A星の王子様←何で泣いたのか今なら分かるけど、当時はどうして泣いたんだか覚えてないっす。
B泣いた赤鬼←これは泣けます。今でも泣きます。
大人・・というか小学生以降に読んで泣かされたのは殆どないですが・・・
@ごめんよ←池波正太郎の幕末背景の小説ですが、兄弟がいて、特に自分が上の立場の人間は泣けます。
Aアルジャーノンに花束を。←友達に勧められて大学時代に読んでいたら止まらなくなり、講義の最中に読み終わって涙を誤魔化すのが大変だったのを覚えてます。
Bパタリロ・・・さて、どれで私は泣いたでしょう?笑
「何やってるの〜?」
と必死に覗こうとしているデュオポン

ああ、可愛いなぁ。
と本の話をしてきましたが、(私に本と動物の話をさせると時間がいくらあっても足りないのでこのあたりで締めくくりを)風邪で寝込んでいた時、たまたま「哲学者の密室」を読み返してみたんですね。
ネタバレ回避のためにあまり言いませんが、これにはといわゆる哲学モノで、はっきり言って、この小説の中から哲学的な薀蓄を抜いたら多分1冊で充分だよなーってくらい哲学哲学しているんですよ。
んで、まぁ、その中に「死は追い越せない可能性である」という言葉がありまして、丹波哲郎とかはこの場合はどうなるのか?とか・・科学的に確認されている「生まれ変わり」の存在は死を追い越した果ての1つの可能性の形態となるわけかいな?とかぶつぶつ言いつつ、読んでいたんですね。
またその中には「私は私の死を死ぬ」という言葉もありまして、これは自分の意思を持って自分の死を死ぬという事で自殺やそれに関連した行為にあたるようで、主人公2のちょっと傲慢で自意識過剰で何気に馬鹿なんですが学習能力がなくて、いつも誰かを馬鹿にしているという彼女が(いや、嫌いじゃないんですよ。結構笑えるし)「死」というのは誰にも代われない、自分自身固有のものだとかなんとか、思想するシーンで寝てしまいまして。
明け方に近い夜中・・・なんといいますか、激しい尿意で目が覚めたんですね。
行きたい。けど寒いし、ふらふらするし、でもこのまま朝までは無理。それに膀胱炎になったら困るしなー。と布団の中で悶々とし、起きたクレアに舐められつつ、ああ、クレアが代わりにトイレに行ってくれればいいのに。クレアのトイレならすぐそこににあるしさー・・・。
ふと出てきた言葉は「排泄行為は誰も代わりは出来ない」というものでした(−−;
仕方なく、トイレで暖かい便座に座り、「私は私の排泄を排泄する」とぼんやりと考えて、それなら睡眠も食事もそうだよなぁ・・・と。
この場合の「死」と違うのは何だろう・・と再びベッドに戻って考えた結果、
「死」は越えたら後はどうなるのか現在の自分では分からないが、「排泄」は追い越した果てに待つものを私は知っている。
「睡眠」も「食事」も追い越ついた果てにあるものを私達は知っているし、想像も出来る。
とどのつまり、トイレと死にはその違いがあったわけか。
フライブルグ時代哲学やってた友人から叩かれそうな事に納得して安心しつつ、私はクレアを抱えて寝たのでした。

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