この2年間踊りこんできただけあって、この日の舞台で一番完成度が高く、ダンサーが「表現者」らしく見えた作品でした。生意気なことばかり書いてごめんなさい、ごめんなさいね。先にお詫びします。
初めて見た作品なので、全体像をしっかりつかんで感想を書いているのではありません。この日、私の印象に残ったことの覚え書きです。次のバージョンを見たときのために…。
日時:2006年12月17日(日) 午後4時開演
会場:びわ湖ホール(大津)・中ホール
出演:Noism06(ノイズム ゼロシックス)
■black ice(ver.06)
振付:金森穣
美術:高嶺格
衣装:堂本教子
音楽:権代敦彦
(The Biginning of the End/After the End)
*いずみホール、紀尾井ホール、
白川ホール委託作品
出演:井関佐和子、佐藤菜美、中野綾子、
平原慎太郎、宮川愛一郎
無音のまま緞帳が上がり、中央にはその緞帳の裾に片手でつかまって立ち上がっていく女性ダンサーがひとり。上手奥には白い大きな菱形のボードが立っているだけの舞台セット。ボードの前には、客席側に頭を向けて仰向けに倒れている女性がひとり。
衣装はバナナ・カーキのワンピース。そこへ同色のシャツとズボンの男性がひとり登場し、倒れている女性の膝に手を添え、立て膝にさせる。膝はすぐ倒れる。男性はまた膝を立たせる、すぐ倒れる…。緞帳につかまっていた女性は何やら虚空を見つめて動いている。
やがて残りのダンサー(男性ひとり、女性ひとり・彼女の衣装はチュニック丈のシャツと膝下丈のズボン)も登場し、音楽(尺八か木管楽器の現代奏法のような音とエレクトリックサウンド)が始まる。菱形のボードには、青い光によって人の手形、足形、それから脚や腰を平らな面に押し当てたような痕跡が浮かんでは消える。
特にストーリーがあるわけではなく、登場人物同士の一貫したエモーションを描いているとも思えなかった。一旦舞台から消えたダンサーは、次に現われたときには別の個体として登場したように感じられたからだ。
人物の個性とか意識といった深みではなく、恣意的な出会いで生じた身体と感情のアクション、リアクションを淡々と伝える無言劇のようなダンスが続く。扇情的な場景も、冷徹なナレーションでそれを伝え聞くときのように、私の感情移入を拒む。
ダンサーという道具でこの場景を語るのは振付家、金森穣。5人がいっしょに、かなり速いスピードで移動しながら絡みつくようなアンサンブルをする場面まで、計算され尽くしたフォルムの面白さを観ることができた。何回やってもあんなにうまくタイミングが合うのだろうか。彼らのダンスはクラシック・バレエと違い、正確なポジションというものがないのだよ、たぶん。
やがて、感覚的な表現者だったダンサーの意識が見え始める。ひとりの女性ダンサーが床のリノリウムシートをめくって下を覗き込んでいるのだ。へんなの〜。しかし、この場面で私の固まった気分が一気にほぐれる。終いには、女性ダンサーのひとりがリノリウムシートの下へ頭を突っ込み、どんどん吸い込まれて行く。胴体が消える。脚も見えなくなる。完全に舞台から消えてしまう。あまりのことに、そこで私の記憶は終わっている。
black ice… 菱形ボードの青い影は、人の皮膚が感じる他者の熱か。はじめ、それは皮膚感覚だけにとどまり、はかなく消えていった。終盤、ダンサーはぶつかるように、またはしっかりと組み合って動き、最後には粘りのあるリノリウムシートの感触が私にも伝わって来た。
■ダンサーが床に吸い込まれる演出■
びわ湖ホールの仕掛けについて、Naggyさん
(Partitaにコメントをくださいました)がご自身のサイト掲示版で説明されています。以下、引用させていただきました。
びわ湖ホールは大ホールも中ホールも、床下の好きな場所を自在にセリ上がらせることができるんです。やっとホールの特性を生かした演出に出会えた♪。と、劇場サポーター冥利に尽きました。
引用終わり
すごいですね! 他のホールではどうしたんでしょうか。
black ice、次のバージョンがほんとに楽しみです♪

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