2006/9/25
今日、お昼近く、天下茶屋まで、また出かけちゃいました。
今日は、ご覧のとおり、富士山がその秀麗な姿を見せてくれました。
空は、すっかり、秋の空でした。

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2006/9/24
旧道の御坂トンネルの河口湖側の入口です。
今回の記事のタイトルを「再び御坂トンネル」としたのは、
前にも記事にしたことがあるからで(2005.6.8の記事参照)、
そちらもあわせながらご覧ください。

なぜ 「天下第一」なのかは、前回の記事でふれています。
今回の話題は、この旧道トンネルが開通した「昭和辛未(かのとひつじ)」の年、
すなわち昭和6年(1931)に、トンネル銘盤の「天下第一」の
書をなした人物についてであります。
安達謙蔵がその人です
銘盤の書には、署名以外に肩書き等が無いので
どういう人なのか、見当がつかなかったのです。
署名の文字も、すこし読みにくく「安達?蔵」と
三文字目が判読しがたかったのですが、ようやく分かりました。
安達謙三は、元治元年11月22日(新暦で1864年12月20日)に
熊本藩士の長男として生まれ、 大正、昭和初期に活躍した政治家で、
昭和23年(1948)8月2日に亡くなっています。
1902年に衆議院議員に当選。
1931年というと、第2次若槻礼次郎内閣で内務大臣を務めており、
この年の9月18日には満州事変が勃発するなど、
この国が長く暗い時代に進みつつある時期にあたります。
なぜ、そうした時期に「天下第一」なのか、なぜ、安達謙三なのか、
さらに謎が深まる想いがしてきました。
(写真は、2006.9.19撮影)

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2006/9/19
御坂峠の天下茶屋の前からの
「天下第一」の眺めです。
でも、頭を雲のなかに隠してしまって
ちょっと残念だけど、また来る楽しみ・・・
ってとこか・・・。

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2006/9/10
もう9月も三分の一を過ぎようとしています。
“光陰矢のごとし”ですね。
今日の夕方、昭和町西条にあるスーパーの屋上から
9月の夕空に、いくぶん赤く染まった富士の姿を見ることができました。
今年はなかなか、天候に恵まれ富士がきれいに見える・・・、
という日が少ないように思われます。
そんな中で、ちょっとばかりきれいに見えました。
たぶん、この時間だけだったのではないかと思われます。

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