「子どもから学ぶ」ということ
灰谷健次郎さんを語る
=小宮山量平さんが講演=
小宮山さんは冒頭、砂川基地反対闘争の集会で参加集団間の連携が取れなくなったとき、女性たちの「赤とんぼ」の歌声が起こり、それが見る間に群集全体に広がったというエピソードを紹介。「私たちの統一的な気持を託せるのは、大正期に創刊された児童誌「赤い鳥」「金の船」から出た歌だった」とし、戦後の一時期に東京の出版社は「赤い鳥」のような児童雑誌をと競うように発刊したが、「きりん」も同じころ詩人の足立巻一や竹中郁らによって創刊されたと話しました。
各出版社の児童雑誌は、子どもたちのために一流の作家が書くとの趣向で、原稿料が経営を圧迫し2年ほどで次々に廃刊。子どもが書いたものを主体にした「きりん」だけが残りますが、やがて行き詰まり、小宮山さんが引き受けることになります。教師だった灰谷さんは精力的に子どもたちの詩を送り続け、それをまとめた「せんせいけらいになれ」(理論社)が生れました。
2年男子が病気で休んだ先生に呼びかける詩「せんせい、はよこい」―”せんせいはよこんかい/せんせいがきやへんかったら/さびしくてさびしくてかなんやないか/あそびのときもおもろない/せんせいはよこい/こいこいこいこいこいこい”。
小宮山さんはこれらの詩を朗読し、「どれをとっても素晴らしい。これを読むと自分の子どもの頃を思い出す。先生と子どもの関係はこれが普通だった」。また「かつての「赤い鳥」や戦後隆盛した綴り方運動などに、灰谷さんは影響されていない。前者が観照的であるのに対して、灰谷さんの子どもたちの詩には独特の明るさと品位がある」と話しました。
灰谷さんを語る小宮山さんの講演は3回シリーズで、秋までにあと2回開かれる予定です。