「自立」と「受容」の精神を
2007年10月14日付 信濃毎日新聞掲載
終戦当時、日本が負けた悲しみを一番大きな形で受け止める運命にあったのが、僕たちの世代でした。青春の真っ盛りで人間として自由や理想に向かって伸びていく時期に戦争を経験し、知的な成長を大事にしながらも、結局は祖国に殉ずる形を選んだ世代でした。
戦後に「理論社」を始め、「理論」という雑誌を出しました。当時、「評論」と名の付く雑誌が出始めた。日本にメスをふるって、あそこが悪い、ここが悪いと評論することが特色でした。
だが戦後日本が求めたのは、評論的な態度ではなく、痛みを抱きかかえながら、傷ついた日本をどうすべきなのかを根源的に考える、理論的な態度だと思ったのです。
「理論的な生き方」とは言い換えれば、自分の頭で考え、自分の足で立つ自立的な精神を持つことです。高度な勉強をしたい気持ちを満足させる運動が自由大学運動でしたが、自立できる人間をつくるという意味もあったのだと思います。
日本が大きな悲しみを戦争で受けたのは、日本人がいつの間にか、上からの「ご命令」で動くようになり、自立的精神を失ったためではないか。にもかかわらず、自立的精神がないまま、今日まで来てしまったのではないか。
「理論的な生き方」と同時に、人間同士が温かく抱き合える「統一体質」が必要だとも考えてきました。しかし、フランスの三色旗で言えば「自由」と「平等」が加速する一方で「友愛」を見失い、どこか寒々とした競争社会になった。そういう意味では日本は、一番貧しい国になりつつある。
これからはやはり、一にも二にも自立的な精神が求められるとともに、それを「友愛」と同じような意味である「受容」の精神で支えることです。友情の欠けた世界は、猜疑心を生むだけです。
「受容」のほか、一度立ち戻って考える「回帰」、結論を急がずゆっくり進む「漸進」が現代の哲学になると思う。
アコヤガイに異物を差し込むと、体をうごめかして体液で異物をくるみ、真珠を生む。そうした精神作用が受容の精神です。一つの大きな真珠を生み出すには時間がかかりますよ。でも時間がかかることにも平気になっていいのではないでしょうか。