映画雑誌のコラム集を出版する上田の編集者 小宮山量平さん
信濃毎日新聞 2012年1月9日 「時の顔」掲載
ことし5月で96歳。年男のことしも精力的に活動するつもりだ。その一つが、月刊の映画雑誌に寄せたコラムの約4年分をまとめた本「映画(シネマ)は私の大学でした」の出版。
「いま一番心配なのは、将来を担う日本の若い人たちにどう元気になってもらうか。僕が生涯を通じて大きな刺激や教訓を得て、風俗も教えられた映画の魅力を伝えたい」と、静かに語る。
上田市出身。軍隊を経て終戦後の1947(昭和22)年、東京で出版社の理論社を創業。故・
灰谷健次郎さんの「兎の眼」をはじめ創作児童文学を数多く世に出した。90年代以降は生活の拠点を同市へ移し、執筆や出版を続ける。
出版する本のタイトルは、ロジア人作家ゴーリキーの作品「私の大学」を意識して決めたという。「大学は本来、生涯を形作る基礎的な勉強をする場。それが今は程遠く、就職予備校となっている。ゴーリキーが描いた『知りたいことを自分で学ぶ素晴らしさ』を若者に知ってほしい」
東日本大震災のあまりの被害の大きさに心を痛め、昨年は一時体調も崩した。その後、作家永六輔さん、脚本家倉本聰さん、映画監督山田洋次さんら旧知の人たちの来訪を受け、語り合い元気を取り戻した。「こうした友愛の気持ちが広く共有されず、日本人の分裂体質は深まりつつある。同時代に生きる人たちが主張の違いを超えて友愛を育むには、ユーモアを備えた哲学が必要だ」。
その思いを訴える執筆に力を入れる一年になりそうだ。