エディターズミュージアム L 村上寿世さんのこと 2013.1.12 掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
メリーランド大学の図書館へ行って児童図書について調べたいと希望していた谷暎子さんは、それが叶わないとなると村上寿世さんにレファレンスをお願いして調査を続けました。ふたりのやり取りはどんなだったのでしょう。もし私が当時にタイムスリップして小宮山先生の原稿の行方を追うとしたら、現地に行こうと思うに違いありません。
谷さんにある日、「児童書の整理に渡米できませんか」と村上さんから電話がありました。実現したのは1995年のことでした。
メリーランド大学の交換研究者として7ヵ月滞在した谷さんは、村上さんのもとで児童書を分類、書誌情報と検閲情報を読み取り入力する作業をしました。村上さんは2000年までに児童図書目録を完成させたいと言っていたそうですが、それを待たず急逝しました。谷さんは、いつもいっしょに仕事をしながら聞いた「手がけた人がまとめるのが一番いい」という村上さんの言葉を心に刻みました。村上さん亡き後、谷さんは私の役目は児童図書の目録完成をお手伝いすること≠ニ考え、98年から休暇を利用し文庫通いを続けました。
そのコレクションは今、「村上寿世記念児童図書コレクション」と呼ばれています。村上さんがプランゲ文庫の責任者として雑誌や新聞の永久保存に精魂を傾け、児童書にも造詣が深かったことから、謝辞もこめ、その名が残されたのでしょう。
エディターズ・ミュージアムM 生原稿のゆくえ 2013.1.19掲載
プランゲ文庫に出合い没頭してしまいました。この文庫については調べるほどに興味深いことが出てきます。たとえばプランゲ博士のことです。博士は参謀第U部の歴史部で戦史編纂にあたり、最後は部長を務めています。著書に『マッカーサー太平洋戦争報告書』や真珠湾攻撃の内幕を書いた『トラ・トラ・トラ』など。後者はGHQ時代の副産物といわれています。
さて私は、そもそも小宮山量平先生の生原稿の行方を探していたのです。まずは国立国会図書館に行ってみようと思い立ちました。何か手がかりが掴めるのではと思ったのです。たまたま先輩が国立国会図書館に調べ物があって行ってきたというので、様子を聞いてみました。まず館内に入るとパスポートのようなカードを作らされ、それがゆうに30分はかかるとのこと。各部屋に行くたびにそのカードを使って入り、部屋には頼りの係員もおらず、すべてコンピュータを自身で操作しなければならない―先輩は調べ物にたどり着くまで時間がかかってしまい、予定していた夕方の新幹線の時刻に遅れそうになってしまったと話してくれました。
そして、「市の図書館からレファレンスとして依頼してもらった方がよいのでは」と助言していただきました。
私は自身で東京まで行くのはあきらめて、上田図書館と上田女子短期大学の2ヵ所から調査依頼をしてもらうことにしました。