エディターズ・ミュージアム㊴ 灰谷健次郎さんのこと 2013.7.13掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
寝所に横たわりながら、次は灰谷健次郎さんについて書こうと思いました。灰谷健次郎さんといえば周囲に山ほどのファンがいます。その作品は高く評価されて他の追随を許しません。だから私は臆してしまうのです。いつものように地のままでいけば良いのでは、という声が自身のなかから聞こえてくるのですが。
小宮山量平先生の出版記念会が催されたときのことです。私が化粧室に入ると先客がいて、その人は口紅をひいていました。そのとき彼女は鏡のなかから私に微笑んだように見えたのです。とても美しい人でした。そのすぐ後に、その人が灰谷さんの作品の挿絵を描いている坪谷玲子さんだとわかったのです。関西特有のやわらかな言葉遣いも心地よく響きました。
こんなこともありました。
コメディアンのヒロ松元さんが上田映劇にみえました。パントマイムなどを観ましたが、ヒロさん独特の痛烈な風刺で皆を笑わせていました。そのとき灰谷さんの話が出たのです。
―船で世界一周の旅に参加したら色の黒い面白いおっさんがいて、なぜか意気投合して親しくなった。その人がどういう人か全然知らなかった。二人でふざけたり首ったまに腕を巻きつけ「ピース!」なんてポーズして写真を撮った。帰ってからカミさんが写真を見て、「この方は児童文学では凄い人なのよ」と言ったので仰天した―と。
エディターズ・ミュージアム㊵ 灰谷健次郎さんのこと 2013.7.20掲載
エディターズミュージアムには宝物がたくさんあると、以前に書きましたが、灰谷健次郎さんの手紙もそのなかに入るのではないでしょうか。
小宮山量平先生宛の手紙が50通余。便箋に書かれたものもあれば、原稿用紙や和紙に書かれたものもあります。飾りがなく、しっかりしていて丸みのある文字です。眺めていて懐かしさを感じるのは私だけではないでしょう。
手紙の数もさることながら内容の重さは計り知れません。
―人間が成長する過程を青春と呼ぶならば、これは灰谷さんと僕の「青春問答」だと思う―と小宮山先生は灰谷さんとの手紙のやりとりを語っていました。
30年余のお付き合いを―灰谷さんは壁を相手にキャッチボールするように、僕に思いをぶつけてくれた―とも。手紙のなかにはこんなものもあります。
「また マツタケを買いにゆきました もう一年たつなァと思いながら買いました 貧乏しているのにこんなもの買うなとしかられそうですが送ります いつまでもいつまでもマツタケが送れるように長生きしてください」
こんなに先生を気遣った灰谷さんでしたのに、2006年の11月、亡くなられました。先生はどんなにかお寂しかったことでしょう。
「さがれない気持で力いっぱいかきました ご温情をうらぎったような生き方をしていてずうずうしいお願いですが今一度お許しいただけませんか(略)」