エディターズ・ミュージアム㊸『兎の眼』 2013.8.10掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
『兎の眼』は、そのタイトルも面白く、人びとを惹きつけたようです。文中にこんなくだりがありました。
「あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった」――善財童子は奈良市の西大寺の本堂に安置されています。求道の菩薩様だといいます。灰谷さんはエッセイのなかで「子どもたちの美しい眼が美しいのではなく、美しい眼をたもつためのレジスタンスが美しいのだ」と記しています。『兎の眼』の原点は、すべてここにあるように思えてなりません。
今になって少し醒めた眼で読んでみますと、登場する子どもや大人たちの生活臭が立ちのぼってくるようで、そこに従来の読み物との違いがあるように思えました。生活の臭いが具体的にかぎ分けられるようなのです。
舞台となる学校には塵芥処理所に住んでいる子どもたちが通っていました。なかにはハエをビンに何匹も入れて飼育している鉄三という子がいました。ハエのことなら何でも知っていて、ハエ博士といわれるくらいでした。金獅子と呼ぶハエをとくに可愛がっていて、それは2pほどもあり、ピカッと光って王さまみたいにいばったハエでした。鉄三は誰とも口をききません。ハエを20匹も飼育しているのには、それなりの理由があったのです。
エディターズ・ミュージアム㊹『兎の眼』 2013.8.17掲載
鉄三がハエを飼っているのを見たとき、どうしてこんなものを飼うのかとバクじいさんは思います。怒ってビンを壊したりもしますが、鉄三はどんなにおこられても飼うことをやめませんでした。鉄三には母親もいないし父親もいない、ということは世の中でかわいがってくれるものは誰もいない。ハエを飼うことぐらいいいではないかと思うようになります。けれどハエは人間の嫌われ者だから人目につかないように、と鉄三に言いきかせていました。バクじいさんの言葉を読みながら、鉄三の不憫さがじんわり胸にきます。
小谷先生は鉄三が心を開いてくれないことを悲しく思っていましたが、それを聞いてなぜハエを飼うのか少しわかりかけてきたような気がするのでした。
そして「先生にはめいわくかけてすまないと思っているけれど、かわいそうな子だからかわいがってほしいとは思わない」と、バクじいさんはきっぱりと言い切ります。
「鉄三は人間の子だから人間の友だちがほしいと願っている、鉄三はちゃんとした人間の子だ」と言われて、小谷先生は何も答えることができませんでした。
小谷先生は子どもたちのことで心がつかえるとき、西大寺の善財童子に会いにゆきます。醒めた目で読もうと思いながらも、鉄三の飼っていたハエがカエルのえさにされたとき、怒った鉄三がカエルを踏みつぶすところには度肝を抜かれます。