エディターズ・ミュージアム 53 「椋鳩十さん」 2013.10.19掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
長野県出身の作家といえば誰のことを思い浮かべますか。結構いるのですが、本欄では椋鳩十さんについて書いてみようと思います。
椋さんといえば図書館ともご縁が深い方で、鹿児島県の県立図書館長を務められ、在職中に「母と子の20分間読書運動」を提唱されました。この読書運動のことを聞くたびに、長野県には「PTA母親文庫」があると胸を張ったものでした。
椋鳩十さんの本名は、久保田彦穂。明治38年1月22日に生まれ、昭和62年12月27日に没しています。伊那の喬木村出身でした。
名前の由来は「素地屋の姓は小椋と書いてオグラと読む。私の書いた作品の素材は素地屋や山窩だから小椋の小をとりさって椋(むく)とすることにした。鳩十(はとじゅう)の方はそのころ住んでいたクラ屋根のてっぺんに鳩がきて毎日クークーと鳴いたのでふと思いついてつけたまでである」と記しています。
私の遠い記憶のなかに、小学校の担任の先生に椋さんの本を読んでいただいている光景があります。『片耳の大鹿』でしたか『月の輪熊』でしたか、ハッキリしないのですが、固唾をのんで聞き入っていました。隣に大人しく座り、いっしょに聞いている妹がいました。妹は学校に来ても太郎山を見ると家へ帰りたくなって泣いて駄々をこねたのです。すると妹の先生が姉の私がいる教室へ連れてきてくださいました。
エディターズ・ミュージアム54「椋鳩十さん」2013.10.26掲載
学校にいて太郎山を見ると、ふもとの山口にある家へ帰りたくなって駄々をこねる妹を、先生は叱りませんでした。3年生の私の教室に連れてきて隣の席に座らせると、妹は人心地がついたようにニコッと笑いました。そのうえ本を読んでいただいたり、お話を聞いたり、勉強嫌いな私と同じような世界に浸れる方がどんなによかったかしれません。
家に帰ってからは学校であったことなど互いにおくびにも出さず、二人になると聞かせていただいた本のことを話し合いました。
椋さんは子どもの頃、よほど腕白坊主だったようですが、本を読むことは好きでした。父親の書斎に入って、かたっぱしから本を読み漁るうちに「死」について書いてある本に出合います。そして「死の正体をつかんでやろう」という気持ちになります。小学校6年生のときでした。
そこで担任の市瀬厚先生に「死についてわかりやすく書いてある本があったら貸してほしい」と申し出ました。市瀬先生は驚いていましたが、生と死は表と裏だから生きるということがどんなに美しいことか書いてある本を貸してやろうとおっしゃって差し出してくださったのがヨハンナ・スピリ著で野上弥生子訳の『ハイジ』でした。
椋少年に応える市瀬先生の存在に畏敬の念をいだきます。生徒の思索する心にすぐにこの本をと思えるところが、豊かな人だなあと感心するのです。