エディターズ・ミュージアム65「椋鳩十の本」2014.1.11掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
諏訪の仕事場を訪ね、椋さんの文に絵をと小宮山先生が依頼すると、原田さんはふたつ返事で引き受けたそうです。
そのような信州の人たちの手による本のページをめくりながら、私はその世界に没頭しました。
原田さんの描く人物には目が描かれていません。「どうして目を入れないのですか」とお尋ねする機会はありませんでした。けれど目が入っていれば全然違う絵になってしまう気がします。あたかもあるようにして、ない。―あの風景を普遍性へと誘う作用があるのではないでしょうか。
私は、椋さんの大人向けの本に対してはまるで無頓着でいました。だから、動物をテーマに書いている児童文学の第一人者、とばかり思いこんできたわけです。ところが、そうではないと思い知らされるときがやってきたのでした。
ちょっと経緯が長くなってしまいますが、私は図書館時代に録音図書の校正という仕事をやっていました。そのとき自分の持っている力だけでは足りないと考え、朗読の勉強会に参加することにしました。その勉強会の教材で、動物の物語ではない椋さんの小説に出合ったのです。
それは昭和8年に椋さんが28歳で自費出版したあの『山窩調』に、以後発表した作品を加えた小説集『鷲の唄』に収められた短編小説でした。
「霜の花」という題名で、山の民を描いた作品でした。
エディターズ・ミュージアム66「椋鳩十の本」2014.1.18掲載
「霜の花」は次のようなあらすじです。
―山の民の一群が陽の暮れぬうちにと移動しているとき、群の女が産気づいて倒れました。
女が走っていく群に向かって呼びかけても、誰も振り向こうとしません。女はもう一度、犬が遠吠えするように高く叫びました。すると見えなくなってしまっていた群の方からおーいと返事が返ってきたのです。
姿を現した男は、もうすぐ産まれそうだという女のために木の葉を集めて寝床を作ってやり、女の頼みごとを聞いて大きな石を並べてクドを作り、出産の準備を整えてやりました。
女はそんな状態なのに、仲間の仕事があるだろうから、自分に構わずそちらに行くようにと言います。男がいなくなった後に女は苦しみながら子を産みます。難産の果てに赤ん坊の臍の緒も始末し抱き取るのでした。
戻ってきた男は、焚火の光にすかして女が安らかに眠る姿を確認し、朝になると勇んで朝粥を炊き女に食べさせようとしました。覗きこむと女の顔にも着物にも白い霜がぎっしり降りています。女も赤ん坊も死んでいました。男はその上にうず高く落葉を積み上げ、涙と水洟を手ばなでかんで、別れてきた群の方に去っていくのでした。
まず山の掟(そう呼ぶのかわかりません)の厳しさに驚きました。奔放さと逞しさが同居する世界。その凄まじい描写に胸の震えが収まりませんでした。