エディターズ・ミュージアム81 倉本聰さんの講演会2014.5.3掲載
倉本聰さんのことを私はずっと、俳優の北大路欣也さんに似ていると思いこんでいました。こんなふうに書くと両方のファンから怒られるでしょうか。雑誌の写真などを見てそう思ったようですが、ふたりとも目が大きくイイ男振りではありませんか。周囲の人に「似ているよね」と同意を求めても、よい返事は返ってきませんでしたが。
その倉本さんに、私も二度お会いしたことがあります。一度目は週刊上田新聞社の3周年記念事業で、倉本さんを招いて開いた講演会でした。講演内容の詳細は覚えていませんが、後進の育成のため、ほかから見れば無謀ともいえるような計画、「富良野塾」を北海道富良野に立ち上げたこと、そして塾生たちとともに歩んだ道のりをお話ししてくださったかと記憶します。
倉本さんにはバブルに興じる当時の世相の情況に対して、「塾」をつくる必然性があったのではと推察しました。満席の上田文化会館の壇上に立つ倉本さんが颯爽としてカッコよく見えたのを覚えています。
二度目は4年前、上田市民会館で倉本さんの「歸國」が上演されたときです。私も実行委員として準備から関わっていました。
劇が終了した後、「アリガトウ」の一言が聞きたくて、関係者の列に並び、すぐ近くに立ちました。週刊上田主催の記念講演を聴いてから歳月が流れていました。髪が白くなるのも当たり前でした。
エディターズ・ミュージアム82 小宮山先生と倉本聰さんと 2014.5.10掲載
上田市民会館で上演した倉本聰さんの「歸國」については、本欄の2月22日号で少し書きました。
「小宮山量平先生にぜひ観ていただきたい」と、倉本さんが上田上演を打診してきたのが上演の2年ほど前のことです。先行して舞台会場の確保などをしながら、エディターズミュージアム代表の荒井きぬ枝さんを中心に準備を進め、実行委員会への協力を広く募りましたが、大勢の方がこれにかかわりたいと参加してくださいました。話し合いの回数を重ね、その日が近づくにつれ期待で胸が躍ったのは、私ばかりではなかったはずです。
当日はお天気もよく、満席近いお客の入りに、倉本さんも満足してくださったと思います。
劇は、先の戦争で死んだ人たちが亡霊となって本土に帰ってくるという設定で、彼らは現代の日本を目の当たりにすることになります。自分たちがいた頃の暮らしからあまりにも変貌し、かけ離れた生活―違和感を覚えながら、自分たちが戦争で命を落としたことにどんな意味があったのだろうと問いかけます。
舞台は、幻想的な場面などで映像を効果的に使うなど、迫力がありました。そして、お芝居を鑑賞された小宮山先生は、倉本さんともお会いして、ニコニコしていらっしゃいました。しかし、その翌年、5月の96歳の誕生日を前にした4月13日、静かに生涯を閉じられました。白木蓮の花が咲く頃でした。