エディターズ・ミュージアム93 まどみちおさん 2014.7.26掲載
「少年の日」は昭和13年、『昆虫列車』に発表されました。TとUがあって、こどもの日の記憶を散文詩風に書いた小編集です。いずれもまどさんならではの作品と得心しますが、U収録「豆ランプ」を紹介します。
豆ランプ
私は、豆ランプをともして、頸をかしげて、見ているのが好きだった。頬っぺたを近くへもって行って、自分も豆ランプになったつもりで並んでいるのは、更に一層好きだった。豆ランプをともしたままで、蜜柑かなんかのように、そっと懐に入れてみてやろうかと思ったこともあった。
夜、便所へ行く時には、いつでも豆ランプをつけて行った。豆ランプをそこに置いて、その心を見ながら用を達した。何かが私を窺っているらしいので、その目と私の目が出喰わさないように、心ばかりを見つめていた。
そんな時、心のつけ根で、青い帽子などを被って、がやがやと立働く人の群が見えるようなことがあった。心が、何処かの工場の溶鉱炉のように見えた。(後略)
阪田寛夫さん(作家・詩人)は「初めて、まどみちおそのものの世界を短詩型に表すことに成功した。ここまでのまどさんの作品は、童謡でも、大人が立ったままの背丈で見ているものが多かったが、『少年の日』を書いたためか膝の高さに目がおりてそこから物を見てうたう童謡が」始まった、と高く評価しています。
エディターズ・ミュージアム94 まどみちおさん2014.8.2掲載
まどさんは台湾総督府という役所に勤務していたと書きましたが、やはり父親が総督府に勤め家族そろって台湾で暮らしていたという、現在は佐久に住んでいる方のことを先ごろ知りました。まどさんは台北でしたが、その人は台南でした。台湾が日本の植民地だった当時、こうした人の往来があったのでしょう。
書物で歴史をたどってみますと、日本と清国との間で行われた日清戦争が台湾の日本統治につながっています。朝鮮進出策を進めていた明治政府は明治27年(1894)6月、朝鮮半島で起こった内戦、申午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに朝鮮に出兵し、宗主国を主張する清国と対立。同年7月に豊島沖海戦で戦闘が始まり、8月1日に両国が宣戦布告。日本は平壌の戦いや黄海海戦などで勝利して、旅順や大連、遼東半島を占領、翌28年4月に下関で講和条約が締結されました。この結果、遼東半島などとともに台湾が日本の植民地となったのでした(遼東半島は後に三国干渉で放棄)。
台湾総督府は、日本の領有時代に台湾を管轄するため明治28年に置かれた行政官府です。総督府による統治は、昭和20年の日本の敗戦まで続きました。
まどさんは昭和14年10月に結婚します。旧ホーリネス教会の信者の紹介で鹿児島県から姉のお産の手伝いに来ていた永山寿美さんと出会い、台北聖教会で式を挙げました