エディターズ・ミュージアム97 まどみちおさん>2014.8.23掲載
まどさんは大正8年に台湾に移住して以来、戦争に行くまで台北で暮らしていました。以下、まどさんの年譜を追ってみます。104歳まで長生きされた方のことですから、余すところなくという訳には参りません。
昭和15年9月14日、長男・京さんが生まれました。そのころ、優れた作品を次々と発表していた『昆虫列車』は廃刊になっていましたが、創作活動は衰えることなく、創刊されたばかりの『文芸台湾』や『子供の文庫』へ投稿していました。たえず発表する場を求めていた様子が窺えます。
昭和16年12月8日、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃、対米英に宣戦布告し太平洋戦争勃発。
昭和17年11月2日、まどさんの詩を最初に激賞してくれた北原白秋が亡くなりました。まどさんは電信で弔歌を送っています。そんなことがあってのことか、与田準一から上京しないかと誘われます。勤務していた台北州庁土木課をやめようかと迷うまどさんでした。
昭和18年1月21日、応召。台湾現地から戦争に駆り出され、台南安平の船舶工兵隊に入隊します。3ヵ月の初年兵訓練の後、敵国と直に接触する最前線に送られ、マニラ、シンガポール、スラバヤなどを経て、カイ諸島、アルー諸島に移動。持病の胃痛に悩まされながら軍隊特有の辛酸をなめさせられました。その状況のなか、台北高等商業学校教授の庄司孝と戦友になったのは救いだったようです。
エディターズ・ミュージアム98 まどみちおさん
2014.8.30掲載
昭和18年に台湾で応召したまどさんは、3月下旬にマニラに着きました。軍歌行進演習中に目にふれた植物の名前を日誌に書き並べています。植物の名を記憶して、一生懸命書きとめておこうとしたまどさんの気持ちを推量しました。上官に見つかれば、大変なことになったでしょうに。
マニラで見た「ボンガビリア」を童謡に書き、曲をつけて妻に送ったりもしています。日誌だけは古兵の目を盗んで書き続け、マニラからスラバヤまでの移動中に記した2冊の日誌は、輸送指揮班にいた戦友・庄司孝の配慮で台湾の妻に届けられました。
さて、「ボンガビリア」とは何のことでしょうか。わかりません。材木町の上田図書館で調べてもらうと、ブーゲンビリアという花の名前でした。ブーゲンビリアなら私も知っています。南国の花の代名詞のような赤い花です。ブーゲンビリアも異国的な名ですが、「ボンガビリア」という字面は、一味違った南国の趣をオシャレに表していると思います。まどさんは、こんな言葉の使い方がうまいんだなと感心します。そして「ボンガビリア」という童謡を見てみたくなりました。
『まど・みちお全詩集』(理論社刊)を手にとって、索引で探してみました。しかし見当たりません。それらの作品は敗戦から数日後、英国軍に接収される前に、焼却させられたからです。