「きりん」の編集や販売の仕事を手伝いながら、灰谷健次郎さんは「詩のコクバン」の連載を続けられました。そして、1965年(昭和40年)、理論社から『せんせいけらいになれ』が刊行されます。
副題は「詩のコクバン」です。
「きりん」による灰谷さんと父とのめぐり会いから、この一冊が生まれました。
灰谷さんは亡くなられる直前まで「きりん」について語り、又書き続けていらっしゃいました。父が大事に持っていた『せんせいけらいになれ』には、講演のたびに、くり返し読んだ詩の部分にいくつもの付箋がつけられています。
『せんせいけらいになれ』のあとがきに、灰谷さんはロシアの教育者で、『2歳から5歳まで』(理論社)の著者コルネイ・チュコフスキーさんに捧げたことばを取り上げて下さっています。(1977年刊行以降のあとがき)
2015.3.15 荒井 きぬ枝
「2歳から5歳まで」(1970年) 刊行のことば
小宮山 量平
(前略)
こども──あなたにとってそれは、たんに未熟なヒナドリではありませんでした。むしろ、もっとも完成された創造物であり、損なわれてはならない人類の原型でした。こどもたちは、けっして役立たずでもなく、かわいい愛玩物でもなく、人間の一生の中で最も豊かで意味深い労働をいとなむ知的労働者であり、人類の創造性を保障する原動力でした。
こどもたちは、楽天的で、前進的で、自由で、彼らを眺めるだけで人びとの心に平和をもたらす「思想家」でした。このようなこどもたちに対しては、教えることよりも、彼らから学ぶものの多いことを、あなたは指摘しつづけてきたのです。
(中略)
私たちは、あなたとめぐりあうのがおそすぎましたので、生前のあなたにおむくいすることは、何もできませんでした。しかし、私たちのこれまでの歩みのすべては、あなたの希望と指導につらなるものだったのです。あなたと私たちのつながりは、むしろこれから深まることでしょう。チュコフスキーさん、私たちの児童詩の雑誌《きりん》も、理論社の創作児童文学の出版も、日本におけるあなたの花の一つとして咲きつづけるはずです。みつめていてください。
「きりん」は昭和23年(1948)、大阪で創刊されました。敗戦からまだ日も浅い時期に、「日本でいちばん美しい子どもの本をつくろう」という願いから生まれた児童詩の雑誌です。
子どものための本の出版を決意し、初めての創作児童文学作品として「荒野の魂」を世に送り出した同じ年(昭和34年)、父はこの「きりん」に寄せられた子どもの詩を
「きりんの本1.2ねん」(坂本遼・序)
「きりんの本3.4ねん」(竹中郁・序)
「きりんの本5.6ねん」(井上靖・序)
の3冊にまとめて刊行します。
そして3年後(昭和37年)、大阪での「きりん」は4月号が最終号となり、5月号からは、理論社がその仕事を引き継ぐことになったのです。
「詩のコクバン」と題して「きりん」に連載を続けていた灰谷健次郎さんとの出会いは、このころだったと思います。
2015.3.18 荒井きぬ枝
希望とおねがいと−「きりん」の発行をうけもって
小宮山 量平
(前略)
このしごとをおひきうけするとき、私は、「子どものために」とか「××教育のために」とか──
そんな枠や目的を持たない雑誌であるように心がけます・・・・・と、誓いました。
今の世に、よくもまあ、こんなのびのびと、楽しげにやっているものだ、と呆れられるくらいが良いのだと思っているのです。
子どもたちの屈託のない発言を中心に、みんなで、このたのしい一角を守りぬけたらと思っているのですが、どうか、そんな願いをつらぬくことに、お力ぞえください。
創作児童文学の第一作目として「荒野の魂」が刊行されたのは、「つづり方兄妹」刊行の翌年、1959年のことです。
その後、早船ちよさんの「山の呼ぶ声」、山中恒さんの「とべたら本こ」等が“創作少年文学シリーズ”として次々に刊行されていきます。
父は夜行で上田に帰ってくると、出来上がったばかりの本を、私や弟のまくらもとにそっと置いてくれました。私が小学校6年生の頃だったと思います。
私は、いつも最初の読者でした。
2015.3.11 荒井 きぬ枝
(左側) ミュージアムの棚にある“創作少年文学シリーズ”
(真ん中)「荒野の魂」美しい装丁の箱に納められています
(右側) 生原稿
はじめに 創作少年文学シリーズについて 小宮山 量平
日本の作家が、日本の少年少女たちのために、心血をそそいで書いた物語。――それを待ちのぞんでいる声は、教室にも家庭にも、みちあふれています。
しかし、ふしぎにも、日本では、こういう本がいちばんすくないのです。
この日本の歴史や生活の中で、少年少女たちといっしょに考え、いっしょに喜び悲しむ物語が、もっとたくさん作られたら、どんなにかいいでしょう。日本の少年少女たちの胸をうつほんとうのおもしろさは、ここからこそ生まれ出るのだと思います。
どこの国でも、真にすぐれた作家は、その国の明日を築く少年少女たちの心に、大木のように根をはった作品を書いています。日本の少年少女たちも、ほんとうは、見かけの美しい子どもむきのお菓子ばかりでなく、お米やパンのように、しっかりと心の底に根をはる物語を、のぞんでいるのだと思います。
日本のすぐれた作家たちが、こういう作品を書くために、わき目もふらず努力してくださった成果のいくつかを、こんど「創作少年文学」シリーズとしてお送りできるようになったことは、ほんとうにうれしいことです。
* * *
『荒野の魂』は、齋藤了一さんが、ずいぶん長い年月をかけて書きあげた作品です。
北海道の大自然の中にくりひろげられるアイヌ民族の平和な生活も、その平和をみだすものに対する力強いたたかいも、祖父から父へ孫へと流れる深い愛情も、すべて、さわやかな風が吹きつらぬいたような感動を、皆さんの胸にのこすことでしょう。
日本民族の大きな未来を美しくいろどるためには、私たちみんなの中に、この物語がのこしてくれるような血汐のたぎりが、いつも若わかしくたぎっていることが大切でしょう。
ムビアンやペチカの清らかさは、私たちの心にきざみつけられ、こんこんと涌きでる清水のような心をつちかってくれると思います。
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もしこの本が、皆さんの心に、強い感動をのこしたならば、ぜひ、このシリーズのほかの本もお読みください。私たちは、今の日本の少年少女たちの魂にとって、いちばん大切な問題を、いちばんおもしろく、いちばん雄大に描いた作品を、つぎつぎにお送りするつもりです。
1959年10月 理論社編集部