(前略)
この呼びかけに応えたのは、「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻や、児童書の絵でおなじみの田島征三、長新太ら新進画家たちだった。当時、南アではネルソン・マンデラら「政治犯」が続々と投獄されていたが、経済で南ア白人政府と実益的な関係にある日本企業は「名誉白人」の立場で人種差別に乗じて甘い汁を吸い続けただけに、そうした流れに抗う表現者たちの強固な正義感と良心がうかがえる。 (後略)
荒井 きぬ枝
「アフリカを学ぶ雑誌/a」 (1970年理論社刊)創刊のことば 小宮山 量平
(前略) 昨年の3月、私は南アフリカ大使館から一通の招待状をいただきました。内容は、5月に行われる「南アフリカの民主主義の20年、及び日本国民との連帯と協力の50年」というテーマのパネルディスカッションへの参加の依頼でした。
1950年代からアフリカ関係の書物を多く刊行し、1960年代には、アパルトヘイト政策に抗議し、南アフリカ政治犯救済のために立ち上がった父への感謝の思いを、私を招待するという形で表して下さったのだと思っています。
その日集まった方々の前で、私は父の思いを伝えるために、次のような話をさせていただきました。
「ジャンボ・アフリカ」出版に込めた父の想い
反アパルトヘイト運動に協力する中で、父は日本の子どもたちに正しくアフリカのことを伝える努力をしました。
野間寛二郎さんが書かれた「ジャンボ・アフリカ」の出版には、そのような思いが込められていました。
「ジャンボ・アフリカ」は、おそらく当時唯一の少年少女のためのアフリカ案内書であったと思います。
アフリカという新しい世界をしっかりと見つめることで、日本の子どもたちの心の中にアフリカの人々への敬意と友愛が芽ばえることを父は願ったのでした。
父は二年前に亡くなりましたけれど、きょうこのように父の仕事についてお話しさせていただく機会を得られましたことに、心より感謝しております。ありがとうございました。
荒井 きぬ枝
”アパルトヘイト”と南ア解放闘争を知る本
そこにこんなに深刻な差別が存在するかぎり
地上に良心の安息は存在しえないでしょう!
このような拷問や極刑にあえぐ人びとに関し
“知らない”こと自体が罪悪となるでしょう!
いまこんなに不屈な戦いがあるということは
苦悩を耐え抜く良心の証しとなるでしょう!
小宮山 量平
ミュージアムの棚に並んでいる理論社で刊行されたアフリカ関係の本