作家の井出孫六先生からお葉書を頂きました。
───「小宮山量平“私の大学”」のお知らせ有り難う存じました。「放浪の画家」の試写会案内をもらっていながら、見過ごしており、岩波ホールに出かけていこうと思っているところです。
(中略)
「私の大学」の繁栄を祈念。────と。
「放浪の画家」ピロスマニ。「百万本のバラ」のモデルといわれているこの画家については、知って下さっている方が少なく、今回の講座(11月14日)は、この画家をテーマにしているのですが、参加の申し込みが少ないのです。
そのような折に届いた孫六先生のお葉書は、おおいに私を励まして下さいました。
このミュージアムが設立された時、孫六先生はいち早くかけつけて下さり、諏訪の風樹文庫(岩波書店の本を所蔵)と手を結ぶといいね、とおっしゃって父と私を諏訪へ呼んで下さったのです。
ミュージアム設立から10年が経ちました。父が作家の方たちから頂いた(あるいは親交のあった方々、画家の方々)数え切れないほどの手紙も、ようやく整理されてきました。
ひとりの編集者が、どのように人と向き合ったか……。そしてどのようにして本が生まれたか……。いただいた多くの手紙がそれを語っています。
編集者のめぐりあいの歴史は、そのまま戦後の“ある出版史”となり得ているかもしれない……。そう思っています。
父がこの場所に込めた思いを今回あらためて読み返してみました。
2015.11.11 荒井 きぬ枝
「編集者の部屋」とも申すべき場所がふるさとの上田に生まれました。と言っても15、000冊ほどの本の置き場所ができただけなのです。
達者なかぎりここで、あの本この本と並べ変えながら、日に1、2時間を過ごしましょう。
本棚から毎日誰かが甦ってきて、私と遊んでくれることでしょう。訪ねて来てくださる方とは、とりとめのないおしゃべりでもしましょうか。思わずも、今の世にふさわしい創作談義などが飛び出してくるかもしれませんね。
そんな気楽な「本の広場」です。
私の居なくなった後も、楽しく面白く続けられたら良いでしょうね。
小宮山 量平