「文化座」の公演『反応行程』(2016年5月25日〜29日)──26年ぶりのリメイク公演。戦時下の青春群像に、現在(いま)だからこそ再び挑みます──
パンフレットにはそう記されていました。
機関誌(文化座)に感想を・・・・・と言っていただき、拙文をお届けしました。2016.7.20
『反応行程』
舞台の上に、現代をどう生きたらいいのかと苦悩している若者たちがいる。───
そう思えてなりませんでした。演じているのだけれど、それだけではなく生身のひとりの人間として、若い俳優さんたちが、悩み、迷い、そして叫んでいるように思えたのです。
なんだか今、空気が変だと思います。
はっきりと何かが見えているわけではないけれど、いつの間にか言いたいことが言えなくなり、知りたいことを知ることができず、そして同じ方向にむかわされていく───、
“あの時”のように───。
昭和22年「季刊理論」創刊号に、ある思いを込めて書いた父・小宮山量平の文章は、GHQの検閲であとかたもなく削除されてしまいました。その思いを甦らせようと刊行した一冊の本が遺されています。その中で父は、日記の形で幼い私に語りかけるように文章を綴っています。
1949・9・8
(前略)おまえは何でも「いや」という。人間としての独立性が生まれる最初の時期に、否定詞の時代があるのはおもしろいことだ。たんとたんと「いや」といいなさい。
それは、シャンと、自分で自分を支える第一歩だ。
「愛になやみ死をおそれるもの」(昭和25年 理論社刊)より
「いや」と言えること。“自分の足で立ち自分の頭で考える”───自立的な精神の芽生えを願い、検閲の目をかいくぐるようにして父は書いたのでした。
今のこの空気の中で、悩みながら、けれど自分の足で立ち、自分の頭で考えようとしている若者たちが多くいることに、心を動かされています。
“田宮”の叫びが聞こえます。
「どうしてですか?」「なぜですか?」そして「いやです!」───。
まっすぐそう叫ぶ若者たちを“あの時”にもどすようなことがあってはなりません。
「反応行程」の舞台に父の言葉を重ねながら私は今、強く思っています。
エディターズミュージアム「小宮山量平の編集室」代表 荒井 きぬ枝