むのたけじさんの『たいまつ十六年』(1964年理論社刊)の刊行については、この連載で書かせていただきましたけれど(2015.6.10)、週刊新聞「たいまつ」を1978年に休刊されてからのむのさんは、講演活動などを通じて「戦争絶滅」を訴え続けられました。
信念を貫かれた方だったと思います。亡くなられた翌日、8月22日付の朝日新聞から特に心を動かされた部分を、以下に抜いておきます。2016.8.31 荒井 きぬ枝
むのさん逝く たいまつの火は消えず
(前略)
治安維持法で言論の自由が封殺された。そういう時代に報道機関はどうなるか。むのさんはかって、戦時中の朝日新聞社の空気をこう振り返っている。検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は一割に満たなかった。残る9割は自己規制で筆を曲げた。
戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる。
だから、権力の過ちを見逃さない目と、抑圧される者の声を聞き逃さない耳を持ち、時代の空気に抗して声を上げ続けねばならない。むのさんはそれに、生涯をかけた。2016.8.22 (「社説」より)
(前略)
戦中の新聞社であからさまな検閲や弾圧など見なかった、危ういのは報道側の自主規制だと指摘した。
「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える。検閲よりはるかに有害だった」。
彼の残した言葉の良薬は昨今とりわけ口に苦い。お前は萎縮していないかと筆者も胸に手を当てる。
(中略)
著作を貫く一徹さは特筆に値する。沸き立つときも沈むときも集団に流されやすい日本社会で、揺れのないその言葉は何よりも頼もしかった。
ふるさと秋田で30年筆をふるった。新聞「たいまつ」の名そのままに、戦争絶滅の願いに全身を燃やし続けた。2016.8.22 (「天声人語」より)
民衆のなかでの明けくれ
「たいまつ十六年」(理論社刊)より
中央がむのたけじさん
そして父の言葉を・・・・・。地域から発信する意義 小宮山量平さんに聞く
「命を大事に」貫いて
(前略)
新聞は「 命が一番大事」という最もシンプルな価値に徹してほしい。
二十一世紀は戦争と革命の世紀だった。今、人々はメッセージを求めているのです。
生きていくための簡潔で力強いメッセージを。それは、長野県内の一地方から発信された小さな記事でも可能です。それを貫ければ二十一世紀の新しい哲学を新聞は生むことができるのではないでしょうか。信濃毎日新聞 2004.10.5「新聞週間特集」より