ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の訃報(10月9日、ワルシャワ市内の病院にて死去)は、私にとって、とりわけ感慨深いものでした。
1993年の秋、私は仲間と一緒にワイダ監督作の「コルチャック先生」の上映会をめざしていました。地方の映画館になかなか人が集まらない時代でした。
「コルチャック先生」は岩波ホールの高野悦子さんがはじめられた“エキプ・ド・シネマ”の百数本目の作品として、1991年に上映されています。
実在した「コルチャック先生」への敬愛の念と、地方では観ることのできない映画の上映をなんとか自分たちの手で実現させたいという意気込みとで集まった仲間は12名。
実行委員会を「シネマ12」と名付けました。
父は、『昭和時代落ち穂拾い』(1994年2月、週刊上田刊)の最終章で、コルチャック先生を語って結びとしています。
私たち仲間へのエールでもあったのでしょう。祈りを込めた父の文章を読み返しています。
2016.10.19 荒井 きぬ枝
美しいくにづくり
小宮山量平
この終章が本紙の読者にお目にかかる十月の上旬には、上田の有志たちが、かって岩波ホールで高野悦子さんが上映した『コルチャック先生』の上映を実現させているだろう。
この映画の主人公コルチャックは小児科医であり、心理学者であり作家でもあって、子どもたちのために生涯を捧げた人物である。折からポーランドはナチス・ドイツによって踏みにじられるや、すさまじいユダヤ狩りに明け暮れていた。忽ち両親を奪われた孤児たちが街にあふれた。この子どもたちを母鳥のように抱えこんだ主人公は、あらゆる迫害に耐えてヒナドリを守りぬく・・・・・・。
余りにも親しまれ尊敬されているコルチャック先生に対しては官憲もいちもくおいて、外部から彼を救援しようとの手も差し伸べられる。が、彼は微笑をたたえてその手を拒み、やがてガス室へと送り込まれるはずの子どもらと運命をともにするのだ。
けれどもさすがにワイダ監督はそんな惨劇までを描こうとはせず、ふと停止した貨車のすき間から逃げだすコルチャック先生と子どもらが、原野を走りぬけ森の彼方へと鳥のように消える姿を私たちの胸に送りとどける。
さて、実際にヤヌシュ・コルチャックの名で親しまれた作家ヘンリック・ゴールドシュミット氏は、1942年に64歳の生涯をこの映画の物語どおりに閉じたのであるが、生前にさまざまな名作を遺している。
その一つに『子どものための美しい国』(原題“王マット一世”晶文社刊)がある。
少年王マットが何とかして子どものための国を創ろうと奮闘のあげく、遂に敗れ去る物語なのだが、この遺作といい、ワイダ監督の映画といい、じつに大きな祈りが刻まれている。
いま、あのファシズムにも劣らぬ程の残酷な交通地獄・受験地獄・公害・腐蝕・氾らん・・・・・・などの世界に、そんな祈りをこそ送りとどけたい。