マルシャーク作『森は生きている』。原題は「十二月」。
(理論社で出版された“マルシャークのこどもの芝居の本”シリーズは『十二の月の物語』)
この芝居を最初に観たのは小学校一年生の時でした。「俳優座」のこけら落としとして上演されたものです。父が連れて行ってくれました。
その5年後、この芝居は「劇団仲間」に引き継がれ、小学校六年生になった私は、それから毎年のように12月になると上演されるこの芝居をくり返し観続けることになったのです。
「12月のお楽しみ」でした。
だから、今でも12月になると私の心の中に「森は生きている」が甦ってあの“もえろもえろ・・・・・”という歌声が聞こえてくるような気がするのです。
その12月に、主役の“みなし子”を2000回以上も演じ続けていらした女優の伊藤巴子さんが亡くなられました。
数ヶ月前にご著書をお送り下さったのに・・・・・。
もう一度お会いしたかった・・・・・。涙がとまりませんでした。
大好きな女優さんでした。小学生の私がはじめて「大好き!」と思った女優さんでした。後年、お目にかかる機会を得て、このミュージアムでマルシャークの芝居について語って頂くことができたのは、だから私にとって、まったく夢のようなことだったのです。
──子どもたちにずっとほんものを届けようと芝居をしてきました。── 子どもと向き合う姿勢を、父の本づくりの姿勢と重ねながらお話をうかがいました。
「森は生きている」は今でも私の心の中で生き続けています。
マルシャークについて書いている父の文章の中に子どもの教育にふれた部分を見つけました。現在の子どもたちの状況を思いながら、今年最後の父の言葉を・・・・・。
一年間ありがとうございました。2016.12.28 荒井 きぬ枝
マルシャーク作品の光と影
どこの国でもおなじことですが、子どもの中にいちばんすばらしい「人間」をみつめ、そのために、子どもたちの声をきき、子どもたちの側に立ち、子どもたちを守りぬこう・・・と決心していたチュコフスキーやマルシャークのような作家たちは、思いがけない苦労をすることとなります。
それというのも、どこの国でも、子どもたちをすっぽりと包み込む「教育」という網の目があって、そのすきまから子どもたちが逃げ出さぬように、きっちりと押さえこんでいるからです。そういう網の目のように、余りにたくさんの教育者や役人たちが、時としては児童文学作家といった人たちまでもが、子どもたちを取りかこんでいます。こういう人びとに共通の考え方は、もともと子どもというものは弱くて未熟なもの、いつも彼らをみつめ、彼らを保護し、つねに正しく指導し、国家がのぞむような人間に育てなければ・・・・・と、さまざまの設備をつくり、規則を定め、上から下へと読み切れないないほどの通達を流して子どもたちの身の上を心配するのです。 (中略)
とりわけ、いわゆる「スターリン主義」によって、あらゆる芸術・文化が、型通りのソ連社会主義の目的に叶った枠にはめ込まれたような一時代には、子どもの教育と文化は、いちばん侵されやすい領域でした。
この領域で、あくまで子どもの本性を見抜いて、すばらしい明日の人間たちの側に立ちつづけるということは、なみなみならない苦しみに耐えることだったのです。
マルシャークの芝居は、けっして数は多くありませんが、その一つ一つに、この苦しみの影が刻まれているのを見逃すわけにはいきません。
むしろ、その影によって、その芸術的本質は、いっそう輝いたともいえるのでしょう。
幸いなことに、子どもたちは、マルシャーク作品の光と影の深さによって、くっきりと浮かび出る芸術的本質を、まっすぐに受けとめ、限りもない拍手を送り続けてきたのでした。
ソ連でも、その他の国ぐにでも! (後略)『マルシャークのこどもの芝居の本3』(1980年刊)より

舞台歴程(ぶたいれきてい)-凜として-
伊藤巴子著(2016年5月 一葉社刊)より
劇団仲間の「森は生きている」パンフレット