各地で行われた成人式の報道に接っしながら、しみじみと49年前の成人の日のことを思い出していました。
当時大学生だった私は、東京で父とふたりで暮らしていました。昭和22年に理論社を創業して以来、母は実家のうなぎ屋を守りながら、上田で子供たちを育て、父は単身赴任のようなかたちで東京で仕事をしていました。
高校を卒業して東京の大学へ行くようになると、子供達は順番に上京して父と暮らす・・・・・・それが我が家の仕組みでしたから、まず長女の私が上京して父と暮らしはじめていたのです。
上田市主催の成人式に参加するつもりもなく、東京で迎えた成人の日。父は浅草で“ふぐ”をご馳走してくれました。
父と向き合って食べていた、その光景だけは今もよみがえってくるのですが、その時、どんな言葉を交わしたのかを思い出すことができません。
成人の日を迎えた私に、父はどんな思いを伝えたかったのだろう・・・・・・。ふとそんなことを考えながら読み返していた父のエッセイの中に、“無言館”の成人式で、父が若者たちに贈った言葉が記されていました。
そのいくつかを、今、あの頃の自分に戻って、あらためて受け止めてみたいと思っています。 2017.1.18 荒井きぬ枝
愛と怒りと誠実さを
『地には豊かな種子(たね)を』第8章より
──38人の新成人と熱い握手を交わして──
(前略)
主催者の発案で新成人の各人に私から手紙を、との約束に従い、私は幾日も思案のあげく、例えば次のような40通を用意しておきました。
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その1 巨きな愛について──
「人生最上の幸福は、愛されているという確信にある」と、ビクトル・ユーゴーは語っています。《レ・ミゼラブル》という作品を一度は読んでみて下さい。愛という世界の広さを知ることが、あなたの人生の輝きとなるにちがいありません。
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その2 ミジヌールについて──
きみのからだに漲りつつあるその力は「あの女(ひと)」を生涯愛しつづけるためのいのちなのだと、ぼくは信じています。ぼくの愛する国グルジアでは、一人前となった男子を、ミジヌール=恋の奴と呼んで、祝福するならわしがあるのです。
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その3 太宰治の手紙から──
「怒るときに怒らなければ、人間の甲斐がありません」と、作家太宰治が、河盛好蔵という大編集者宛の手紙に記しています。現在(いま)という時代は、そんなときではないかと思うのですが、どうでしょうか?
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その4 誠実さについて──
さや豆を育てたことについて、
かって風が誇らなかったように、
また船を浮かべたことについて、
かって水が求めなかったように、
と、詩人中野重治が綴ったささやきは、あの青山墓苑の中にある解放戦士たちの墓という碑の除幕にあたり捧げられた長い詩の一節です。
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その5 不幸への反省──
人間教育の父と仰がれるルソーは「子どもを不幸にするいちばん確実な方法―それは、いつでもなんでも手にいれられるようにしてやることだ」と言っております。成人式の今日、君もぼくも、こんな言葉を噛みしめてみてはどうでしょう?
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こんな言葉を手紙の形に封じ込めた上で、一人ひとりのきみやあなたに手渡し、熱い握手を交わしながら、私はいつしか涙ぐむほどに若者沐の悦びに、胸をふくらましているのでした。 (後略)
『地には豊かな種子を』
《自然と人間》誌の2002年11月号〜2006年2月号に連載された40章がまとめられ、
2006年8月にエディターズミュージアムより刊行されました。
(表紙・さし絵 坪谷令子さん)
無言館の「成人式」。
第二回目は、作家の澤地久枝さんが新成人に手紙を渡されました。
父は窪島さんが作って下さった“応援団長”の名札を胸に見守っていました。