5月19日付朝日新聞の「声」に、“芸術家投獄の時代、逆流を懸念” と題された投書が掲載されていました。73歳の主婦の方からの投書です。 (前略)
父は戦前の東京で絵描きや童話作家、演劇人らとの交流があり、戦争反対を唱えたばかりに治安維持法に触れ、投獄生活を送った。
小宮山量平氏の小説『千曲川』には、戦前の東京で治安維持法に触れた芸術家らが収監された様子が描かれている。(後略) 『千曲川』を読んで下さっていたのですね。
どの部分を、どのような思いで読んで下さったのか、私には手に取るようにわかります。築地署での千田是也さんと父との出会いに、千田さんとご自身のお父様との出会いを重ねられたのでしょう。
お父様は、拷問も受けられたとのこと。投書は以下のような文章で結ばれています。 なぜ文化人と言われる方たちが、「共謀罪」に反対する意見を述べるのか。もっと知らないと、時代はいつの間にか逆流してしまうかもしれない。 築地署での体験のあと、「危険分子」とみなされた父はやがて「転向」をせまられて、中野署へ。“昭和時代落穂拾い”の父の文章を読み返しながら、このような人々を犯罪者にしてしまう「共謀罪」に怒りが込み上げてくるのです。
2017.5.24 荒井 きぬ枝
皇太子誕生
(前略)
私が連行されたのは東京の中野署であった。五月の築地署とは違って、底冷えのような寒さが私をとらえつづけていた。ふと、そんな私を両膝の間へ抱き込んで安らぎを与えてくれた人がいた。
師走といえば新井薬師に近いこの辺りは、さまざまの浮浪人や非行者が狩り込まれてきて、三畳ほどの各房に二十人以上が詰め込まれ、留置人たちはそれぞれ後ろの人の股の間に抱え込まれなければ座れなかった。
けれども、私を抱え込んだ股の格別の温もりを思い知らされる日が、旬日のうちにやってきた。二十三日の明け方である。皇太子の誕生であった。 (中略)
〈看守〉の黒田さんは「こんなメデタイ日に貴様のような国賊が居るから、陛下のお心が安んじ奉らぬ・・・・・・」と、私を殴り始めた。
三つ並んだ房の前の廊下を、何回往復したのか、あっけなく十七歳の少年は気絶していた。涙の流れ方
ボロくずのように殴られた少年の体を股の間に抱え込んでくれたのは金さんであった。しばらくすると、私の頭のてっぺんが熱くなった。熱い雫は、私のうなじを伝い頤を伝い、胸元へと流れ込んだ。人間が、こんなにも沢山の涙を流すものか。涙とは、こんなふうに流れ伝うものなのか。回復する意識の底で私は考えながら味わっていた。
金さんの名は金玲〇(金ヘンに庸)(キムレイヨン)と言い、東京外国語学校露文科の学生で、もう半年も留置されていた。その金さんが「耐える」ということを教えてくれた。
人間という生き物は長いこと自然の圧力に耐えぬいて生きてきた。烈しい雨にも、じっとうずくまって耐えぬいてきたのだ。いつしか人間の毛並みは、ふりそそぐ雨の雫が流れる筋みちにそって生え揃うようになった。──そう彼が語ってくれたとき、私は彼の涙が私のうなじから胸元へと伝って流れた熱い感触を思い、改めて深く感動した。(後略)
シネフロント2008年2・3月号
「母べえ」の取材でいらした山田洋次監督に、父は“金さん”の話をしました。
完成した映画「母べえ」には“金さん”らしき人が描かれています。
「シネフロント」のインタビューに父はそのことを語っていました。