イヴ・モンタンについて書いた翌々日のことです。
「コメディアンの誕生───越路吹雪ドラマチックリサイタルを聴いた夜のノオト──」と題された父の文章を見付けました。
さわやかな充足感がつづいている。
その幸せな思いが、また私にノオトを綴らせるのだ。
冷めぬうちに記そうか。
そのような書き出しで始まる文章は、フランス、フランス語における “コメディ” “コメディアン”の意味を探りながら、やがて“シャンソン”についての父の思いへと書きつづけられています。
「人生を静かに語りかけてくるような」───、そのようにしか書けなかった私の拙い表現を、父が補ってくれているような文章です。
“シャンソンが語りかける”ということの意味の深さを、父が教えてくれているような気がしました。
2017.11.8 荒井 きぬ枝
コメディアンの誕生
(前略)
人びとは、ともすれば「古き良き時代」とシャンソンの隆盛とを結びつけたがる。けれど、少なくともシャンソンにおける《現代》は、むしろ、ヨーロッパの良き時代の挫折と苦悩から出発したのだ。ちょうど、チェホフのコメディが、桜の巨木に加えられた斧のひびきに耳を傾けることから始まったように―――。
そして、この出発がシャンソンに刻みつけた母斑は、まず、古典的なスペクタクル的ショウからの決別であり、型にはまった職人芸や美声への吸引をねらった額縁の撤廃であり、そして、ただひとりのひたすらな語りかけにひとりがひたすらに聴き入る自由な空間の設定だったのだ。
受け身の多数が、観せられて、聴かされて、やがて一斉に拍手を献上する・・・・・・というパターンではなく、あなたの語りかけが私の内心にしみわたり、やがて私の呟きとなってあなたに戻ってゆく・・・・・・・という親しい対話的な結びつきの緊張と愉しさ。
こうした内面的な交流が、現代の苦悩や希望や勇気の虹を、歌手と聴衆のひとりひとりの胸にかけるのだ。
ピアフの生涯そのものは、このような虹の欠くことのできない中味だったと思う。シャンソン芸(トウール・ド・シャン)のひとり歩きだけで歌の現代性がにじみ出るものではなく、彼女の全生涯の苦悩と歓喜が、その歌の現代性を創造し、現代の挫折や祈りと調和したのだ。
だからこそ、ピアフよ、よくぞあなたは、このわれらの時代に生まれ、生き、耐え、甦り、そして歌いつづけてくださった!・・・・・・と、ひとりひとりの心が熱くなる。こんな共感の交錯する焦点に、私の思い描くコメディアン像は、憧れにも似た輪郭を見せるようになっていた。
(中略)
越路吹雪がピアフを全人間的にとらえはじめたとき、私たちの一体感は、歌の《現代性》にたどりつきかけたのに違いない。彼女は、語りかけ、ささやきかけ、私たちは、語り返し、呟き返すようになっていた。たんにステージと客席という空間のつながりではなく、私たちはひととき、人生的時間を、歴史を、生活を共有し、ともに真実を語り、ともに感動しあってきたのだ。
こうして、私たちは、まぎれもなく、一人のコメディアンの誕生に立ち合うめぐりあわせになっていた。そして今、はっきりとその産声を聞くことの愉しみが、いわゆる<ドラマチックリサイタル>に寄せられていた。 (後略)
パリ20区のペール・ラシェーズ墓地
エディット・ピアフのお墓に
赤いバラをそっと置いてきました。(2011年)