2018.1.31 荒井 きぬ枝
地獄から脱出の道へ
2005年『悠吾よ!』を執筆していた頃、灰谷健次郎さんの熱海のご自宅で。
父は88歳、悠吾は2歳半
吉野源三郎さんについて、父はたびたび語っていました。文章もいくつか遺されています。
(前略)
日本少国民文庫は山本有三先生が中心となり、新潮社の四階を編集室として、昭和十年、十一年、十二年という時代に発刊されました。
昭和十一年といえば二・二六事件の年であり、そのあと日本は戦争に向かって急傾斜していくわけですが、こういう中で山本有三先生は時代の行く手を見据え、信頼できる編集者にその企画方針を語りかけて、全十六巻の少国民文庫をつくるわけです。その第一巻に出たのが、いまでもそのまま残っている『心に太陽を持て』、そして第十六巻に入ったのが『君たちはどう生きるか』という書物です。(注1)
あの時代を彷彿として思い返してみますと、よくぞあの時代にこれだけのものが出たなと、目次を見ただけでも驚いてしまいます。そして最近明らかになったのは、美智子様曰く「熱い思いを込めて、その当時の子どもに送り届けてくれた」(注2)という編集者の中で山本有三先生にとって一番頼りになったのが吉野源三郎さんであり、その吉野さんに一番信頼される手足となったのが石井桃子さんだったということです。 (後略)
「20世紀人のこころ」“ほんものの資本主義”より
(※初出『出版クラブだより』No.421 日本出版クラブ 2000年2月1日刊)
(注1)「第一巻」は「第一回目の配本」、「第十六巻」は「最後の配本」が正しいと思います。
(注2)“美智子さまいわく” とあるのは、国際児童図書評議会のニューデリーの大会に美智子様が寄せられたスピーチからです。
父の本棚に3冊の『君たちはどう生きるか』がありました。その中の一冊、岩波文庫版(1985年刊、初版は1982年)。吉野さんが巻末に書かれた「作品について」と題した文章には、父がいくつも赤い線を引いていました。編集者としての自身の思いを重ねたのでしょう。
(前略)
一九三五年といえば、一九三一年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に進攻を開始してから四年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。
そして一九三七年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本少国民文庫』が完結した七月に盧溝橋事件がおこり、みるみるうちに中日事変となって、以後八年間にわたる日中の戦争がはじまった年でした。
『日本少国民文庫』が刊行され、『君たちはどう生きるか』が書かれたのは、そういう時代、そういう状況の中でした。ヨーロッパでは、ムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファッシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危機は暗雲のように全世界を覆っていました。
『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。
当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。
山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。
その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々こそ、まだ希望はある。
だから、この人々には偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかしてつたえておかねばならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というのでした。
荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神を守らねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。当時、少年少女の読みものでも、ムッソリーニやヒットラーが英雄として賛美され、軍国主義がときを得顔に大手をふっていたことを思うと、山本先生の見識はすぐれたものでした。 (後略)
(『君たちはどう生きるか』1985年岩波文庫、あとがき「作品について」より)
※棒線は、父が赤い線を引いてあった個所です。
『20世紀人のこころ』“47、嵐は強い樹を育てた” ──本文に添えて、父は書いています。
──昭和十年代の知性は外的な嵐にたいして不屈であることで、自らを鍛えていた。──
そして、本文の最後をこう結んでいます。
──今もそれらの労作は生き続け、嵐がどんな樹々を育てたかを語りつづけているのである。
昨年漫画版が刊行されて話題になりました。
原作の新装版とあわせて、100万部を超えたと報道されています。
「どう生きるか」――、その問いかけが、多くの人々の心に響いたのだと思います。
山本有三さんの、吉野源三郎さんの願いが、今のこの時代を生きる若者たちの心に届きますように。