「らいてうの会」の方々が2月25日、このミュージアムに集まってくださいました。
ここを見学し、私の拙い話を聞いて下さるという集まりです。
その日を前にして、この場所に遺されているらいてうさんの言葉をさがしてみました。
『高群逸枝全集全10巻』1966〜67年 理論社刊)のパンフレットに父はらいてうさんの言葉を載せていました。 (前略)
高群氏の思想と実践については、平塚らいてう氏が、「高群さんは、女性として、また日本の考える人として、まことに類稀れな尊い存在だとわたくしは思っています。
私どもはその詩集のもつ高い香気と、全人類愛的な精神に強く魅惑されました。この後、高群さんは終始平和主義の立場にたって、婦人および人類のために、思索し、語り、書かれました」とのべました。(後略) 『平塚らいてう自伝―元始、女性は太陽であったー完結編』(1973年 大月書店刊)で、らいてうさんは “高群逸枝に魅せられる” と題して次のように語っています。 (前略)
高群逸枝さんほど、わたくしを惹きつけたひとはありません。ただ、もう無性に好きなひとでした。 (中略)
初めて高群さんの著作にふれたとき、四、五日というものは、まるで恋人の姿や声やその言葉の一つ一つが、たえず頭のなかを駆けまわるように、高群さんの詩句の断片で、わたくしの心は占められたかのようでした。
といって、このときわたくしは、高群さんのもつ思想そのものに打ち込んだわけではありません。思想だけなら、他にいくらも求められるばかりでなく、必ずしもわたくしと、すべてが一致するものではないのでした。高群さんがわたくしを夢中にさせたのは、あの情熱、あの感情の動きと表現の自由さ、ユニークさ───それらを無限に内蔵している、高群さんという人間そのものの魅力でした。 (後略) そしてもう一つ、思いがけないところでらいてうさんがお書きになった文章を見つけました。
『アジア女性交流史研究』そのNo.6 刊行の責任者は山崎朋子さんです。
“私の会ったアジアの女性たち” というシリーズのその2、「許広平さんと奥村博史とわたくし」と題された文章には、魯迅を敬愛していらしたらいてうさんの夫である奥村さんの思い出とともに、魯迅と妻広平さんの上海での暮らしぶり、後年の広平さんとの交流などが綴られていて、まさに今現在上演されている、井上ひさし作の「シャンハイムーン」(こまつ座&世田谷パブリックシアター)と重なる逸話をいくつも知ることができたのです。
「シャンハイムーン」を観たい・・・・・・、そう思っていた私は、父が編集した『魯迅のこころ』(新村徹著 1970年理論社刊)を思わず手にとっていました。
高群逸枝さんから平塚らいてうさんへ、そして魯迅へ・・・・・・。
父の “めぐりあいの歴史” と、積み重ねられてきた “知の歴史” に感動するのです。2018.2.28 荒井 きぬ枝
「 シャンハイムーン」3月11日まで
1934年、国民党政府の弾圧を避け、魯迅と妻広平は上海の内山書店に匿われていた・・・。