『南アフリカ117日獄中記−アパルトヘイト下の魂の苦悩−』(ルス・ファースト著、野間寛次郎訳)が理論社から刊行されたのは1966年のことでした。
“アパルトヘイト=人種隔離政策” という事実があることを、私はこの本で初めて知りました。高校生でした。
アパルトヘイトへの抗議活動が理由で、1964年に終身刑となっていたネルソン・マンデラさん。それから釈放されるまで27年間を刑務所で過ごしました。
アフリカ関係の書物を多く世に送り出してきた父。
南アの政治犯救援国際美術展への協力を仲間の画家の方たちに呼びかけた資料が残っています。
2010年、サッカーW杯の開催国となった南アについて、何人かの新聞記者さんが、父の話を聞きにみえました。南アの歴史を知った上でW杯の取材を・・・、そう思われたようです。そのことを父は文章に遺していました。
父にとっては特別の思いを抱く南アW杯だったのでしょう。
7月18日、今日、マンデラさんの生誕100年です。2018.7.18 荒井 きぬ枝
W杯観戦南アの「歴史」重ね
6月の初め、サッカーW杯大会の開幕が近づくのにつれ、何人かの新聞記者の訪問を受けました。改めて、南アフリカ共和国に関する予備知識などを得ておきたいとのことだったようです。また、それに併せて、日本代表チームに対する予想の片言でも聞き出したいといった思いもひそめていたようです。
ところが肝心の私は格別にサッカー通でもなく、かって政治犯救援のために国際美術展に日本の画家たちの作品を募り、救援資金を南アに送る活動に奔走し、この国を世界に高名たらしめた烈しい人種隔離政策(アパルトヘイト)を巡って、アフリカの歴史シリーズや解放指導者たちの著作など、そのころ私が出版し得た数々の旧著を並べ立てるばかりでありました。
その一方、1960年代に至ると、従来の植民地政策に行き詰まった先進諸国の謀略者たちは、最も安上がりで陰惨な「暗殺計画」へと方向を転換し、『息子よ未来は美しい』(発言集)を残したルムンバを斃し(たおし)、ガーナ建国の父エンクルマを亡き者にしたばかりか、私どもとも親しかったアフリカ解放運動最高の指導者・エドゥアルド・モンドラーネをも「不慮の死」で葬り去ったのです。そんな話が昂じるにつれ、今や94歳の老骨の眼が涙でいっぱいとなることに、記者たちはさぞびっくりしたに違いありません。
やがて、現地に到着した記者が先ず報じたのは、マンデラ元大統領のひ孫が開幕直前、交通事故に遭って亡くなられたことです。悲しみに打ちひしがれたように、元大統領の開会式登場の場面は実現しませんでした。そして、大会主催国の決勝トーナメント進出も途絶えました。
W杯大会は、アパルトヘイト反対に身も心も捧げてきたマンデラさんの獄中以来の夢でした。今、南アやアフリカが経てきた長い苦悩の歴史を重ねながら、W杯を観戦しています。(2010年7月7日 朝日新聞長野版 「時計をはずして」掲載)