体感したロシア伝えたい ロシア語翻訳家 小宮山俊平さん 信濃毎日新聞 「ひととき」欄 2018.8.21掲載
ロシア語という言語の面白さに引かれて50年近く。通訳や翻訳、旅行ガイドなどの仕事で、ロシアやロシア語圏の中央・東アジアの国々へ約200回出掛けた。「ロシアの裏も表も見てきた」。2012年、理論社創業者の父、小宮山量平さんが亡くなってからは、故郷の上田市に拠点を移し、講座「ロシアよもやま話」などで、ロシアやロシア語の魅力を伝えている。
ロシアに興味を持ったのは、進学した横浜国立大経済学部で、第2言語の授業に「なんとなくかっこいいイメージだった」という理由でロシア語を選択したのがきっかけ。
「論理的で、英語のように曖昧さがない」ロシア語に引かれ、夢中になって勉強した。
理論社がロシア語や旧ソ連に関する本を出版し、旧ソ連との交流もあった量平さんの姿を子どもの頃から見て「関心が向いていたのかもしれない」と振り返る。
大学在学中から日ソ学院(現東京ロシア語学院)に通い、1974年の大学卒業後、同学院で講師を務めるまでになった。さらに留学したモスクワ大学などで専門的にロシア語を学んだ。
通訳を目指していたわけではなかったが、周りの勧めもあって、通訳案内業試験(現通訳案内士試験)を受験し、ガイドの資格を取得。当時東西冷戦期にあって、東側陣営の中心、旧ソ連の情勢は日本で頻繁に報道され、報道番組での通訳や旧ソ連取材のガイドの仕事で忙しかった。
ロシア語の通訳者は少なく、「好きなことと時代の流れが一致し、特定の企業には属さなかったが、仕事には困らなかった」。
93年、エリツイン・ロシア大統領が来日する直前には、テレビの国際生中継で同時通訳を行った。「同時通訳は辞書で調べるわけにいかない。黙り込むことも許されない。死ぬ思いだった」
現在、翻訳やロシア語に関する講座の講師などは「生きがい」となっている。今年3月にトルストイの短編を訳した『三びきのクマ』(理論社)を刊行。「ロシア文学は同じ登場人物の名前が違う名前で出てくることがあり、分かりにくいと感じる人も多い」とし、厳密な訳よりも読者に親しみを持ってもらえる訳を心掛けた。
講座「ロシアよもやま話」(月2回)では今後、上田に関わりのある話を取り上げようと考えている。上田ゆかりの版画家・洋画家の山本鼎(1882〜1946年)がモスクワ滞在中にトルストイの生誕地を訪ね、トルストイが取り組んでいた農民美術や農村教育に刺激を受けたこと、「蚕都」と喚ばれた上田とシルクロードが通る中央アジアとのこと・・・。
「意外なところで上田と関係がある。そんな話もしていきたい」と意欲を燃やす。
「日本では北方領土問題などで、ロシアに固定観念を持っている人がいる」。通訳などを通して「どちらも喜怒哀楽がある同じ人間。政治的な視点ではなく、自分が見てきた歴史や、交流を通じて体感したロシアという国をつたえていきたい」と、思いを強くしている。

『三びきのクマ』(小宮山俊平訳)『大きなかぶ』(小宮山俊平訳)