『父の言葉をいま・・・その1』を書いたのは、2015年の1月16日でした。
4年も経ったのですね。
この国の今を、世界の今を、父がいたら何て・・・・・・。
父の言葉を聞きたくて、父が遺した文章と向き合う日々でした。
4年間続けることができたのは、きっと父が励ましてくれたのだと思っています。
「ほら、こんなふうに書いておいたよ、読んでごらん。」
いつも父の声が聞こえるのです。
2005年、その年は雪のお正月だったようです。
父は“ある決心”を綴っています。 (前略)
ともすれば信州人の気骨を失うまいと、雪とさえ見れば仔犬のように心をはずませ、せめて雪掻きぐらいはと支度をととのえれば、カゼヒカヌように、コロバヌように、と制止される。そんな家人の労りに反抗するわけでもないのだが、老人の心魂を強く剛くと鍛える思いもあって、この数年その年の「読書事始め」には思い切りよく念願の大長編小説に着手することとしているのです。
今年の雪の正月が私をふるい立たせたのは、かのトルストイ翁の『戦争と平和』との格闘でありました。むろん二十代の半ばに軍隊に召集される前夜にも挑戦し、戦後にはソ連製の映画も観たりして、すっかり「読んだ」ような気になっていたものです。
けれども米寿のハードルをクリアさせていただいたこのトシになって、改めてこの大作に挑戦せずにいられなくなったについては、久しぶりの「雪の正月」とのめぐり合いも機縁となったと言えましょう。加えてイラク戦争の泥沼化の行くえへの緊張感です。
更に加えて新潟県中越地震、そしてスマトラ沖地震津波・・・・・・よくもまあ!と、名状しがたい終末感に襲われかねないほどの試練に次ぐ試練の重なりではありませんか!
今回は岩波文庫全四巻で各冊七百ページに及ぶ大冊との格闘でしたが、前年までに白内障手術をクリアした悦びもあってか、あたかも老人にとって可能な山登りにも似た爽快感が私を支えつづけるのでした。 (後略)(『悠吾よ!明日のふるさと人へ』2006年3月刊 より)
父は何故『戦争と平和』を読もうとしたのか。
かって『トルストイのこどものための本 全6巻』を手がけた父が、あらためてトルストイと向き合おうとしたのは、どのような思いだったのか───。
父の言葉を探していた私に、父が差し出してくれた文章です。 (前略)
およそ勝者も敗者も有り得ない「戦争」そのものの虚しさが読み進む私の心の底に、涙のようによみがえるのは、戦争によって失われた「いのち」への哀惜でありました。そうか、かのトルストイが、あんなにも巨きく筆をついやして描いたのは、一途にいのちの喪失の嘆きであったのか。
何とたのもしい若者たちのいのちが、何とそのいのちの火を燃え立たせた多くの恋たちが、何と人びとがいのちがけで育て守ってきた美しい芸術たちが、そしてそれらのいのちの輝きにそそがれた女や子どもたちの嘆きが・・・・・・。 (後略)(同)
一年間ありがとうございました。
私の拙文をお読みくださっているみなさまに心より感謝申し上げます。
「いい国になったのよ。」 父にそんな報告ができますように─────。2018.12.26 荒井 きぬ枝

──タンギーおやじこそ、私にとって最大の師なのです──
父の言葉をいつも思い出しています。
パリで待っていてくれる父。今年もロダン美術館でタンギーさんに会ってきました。
「タンギー爺さん」ゴッホ作