行きたい、いえ、行かなければ・・・・・・、そう思っていた「大島博光記念館」(長野市松代町)。
昨日訪ねることができました。
大島博光(1910〜2006)
信州松代生まれの詩人・フランス文学者。西條八十の下で詩誌「蝋人形」の編集にあたる。
戦後「フランスの起床ラッパ」をはじめ、アラゴンやエリュアールらフランスのレジスタンスの詩を紹介する。1962年、詩人会議創立に参加。1974年チリ人民支援連帯日本委員会の代表幹事を務める。
詩集「ひとを愛するものは」で多喜二・百合子賞を受賞。「エリュアール詩選」「アラゴン詩集」「ベトナム詩集」「ピカソ」「ランボオ」「パブロ・ネルーダ」「パリ・コミューンの詩人たち」「レジスタンスと詩人たち」等を著す。(記念館のパンフレットより) 記念館の壁には、いくつもの詩がぎっしりとパネルで貼られていて、たちまち博光さんの世界が広がっていきます。
その中にありました───、
「ストラスブール大学の歌」(アラゴン『フランスの起床ラッパ』より)。 教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を 胸にきざむこと 詩の中の二行をくりかえし語っていた父が甦ります。
「私の大学シリーズ」(1956〜1957 理論社刊)の巻頭にかかげたのもこの二行でした。
「人と人は、こんなふうに向き合わなければいけないんだよ」
アラゴンの詩の前で、父の声を聞いたような気がしました。
そして博光さんの“千曲川へおくる歌”です。 友よ 友よ わたしが死んだら
灰になった わたしのひとつまみを
わがふるさとの 赤坂橋の上から
千曲川の流れに まき散らしてくれ
海へくだった鮭が さいごには
生まれた故郷の川へもどってゆくように
わたしも育った川に 帰ってゆき
そこに いつまでも漂っていたい 父のお骨の一部を、娘たち、孫たちと一緒に、千曲川へそっと流した日のことを思い出しています。
同じ時代を生きた博光さんと父。
自由・反戦・抵抗・そして愛───
ふるさと・千曲川───
重なるものを胸に刻みながら、帰途につきました。2019.1.30 荒井 きぬ枝
父が最後に書いた文章から
壺ひとつ ぽとん!と、落とす 河川葬(おそうしき)
(前略)
もう数年前のことだが、奈良在住の女性の友人が、何かと私の健康を気遣って、両の掌にすっぽりと収まるほどの壺入り“ウメびしょ”を送って下さった。そのウメが快く脳髄を覚ましてくれるのに惹かれ、毎年二箇ずつのセットで送って下さるようにおねだりしているうちに、いつしかその愛らしい壺が十箇を越し、今ではその壺たちが私の胸底に動かし難いロマンを刻みつけてしまった。
折から『千曲川』という私の長編作品が全四巻で仮の完結を遂げたまま、第五巻が俟(ま)たれる状況を迎えていた。そんな構想を刺激するかのように、やがてその壺には遺骨を容れ、子どもや孫たちが打ちそろった夏休みの一時期にでも、近くの川べりで「ぽとん!と落とす」お訣れでも──というのが、私の魂胆となった。(後略)
(「地域文化」100号2012春 「百歳圏からのたより」(八十二文化財団))より

大島博光さん訳による「ランボオ詩集」は昭和23年1月に蒼樹社から刊行されています。
昨年末のパリ。
サン・シュルピス教会の広場の脇の小路に
ランボーの詩「よいどれ船」が
一面に書かれた壁がありました。
ランボーがこの詩をはじめて朗読した場所なのだそうです。