ゴーリキーの自伝的小説に由来する「私の大学」。
それぞれの心の中に“自分の大学”を持つことの大切さを、父は語っていました。
「戦後創作児童文学運動」の担い手のひとりでいらした早乙女勝元さんについて、父は以下のような文章を遺しています。 早乙女さん、あなたは日本のゴーリキーなんだ・・・・・ぼくがそう語りかけると、彼はまことに当惑した顔つきをする。世界的大作家とストレートに比べられたりしたら誰だって困るのが当たり前だ。
けれど、お世辞を言うわけではない。ぼくらが身近にゴーリキー的な作家を求めたくなるとき、まず第一に思い浮かべてしまうのが、早乙女さんなのだ。革命前夜の重苦しい時代の下で、なんども挫折し、自殺さえ企て、絶望し、放浪し・・・・・
そんな深い傷を、宗教や思想の光明なんぞによってではなく、ひたすら孤独な手さぐりでいやしてきた若き日のゴーリキー像を、ぼくは、早乙女さんとダブらせてしまう。どうやら両者にとって、生きぬく上で何よりの知恵は、他人を傷つけず、どんな弱者に対しても、それ以上の弱者として対する「やさしさ」をつらぬくことであった───と、ぼくは思う。 (後略)(「早乙女勝元長編青春小説集 全六巻 パンフレット」より)
第一回目の「私の大学」講座は、2014年4月13日。
父の命日でした。
早乙女勝元さんに講師をお願いしました。
「早乙女さんに来ていただきたいね」───、
父の声が聞こえたような気がしたのです。
2019年5月10日付の朝日新聞に掲載されていた早乙女さんのインタビュー記事。 「小学校の講演で、『高校も大学も行けなかったが、作家になれたよ』と話すと、子どもたちが喜ぶ」 お元気そうな写真の下に、そのようなコメントが添えられていました。
第7回の「私の大学」講座を5月25日(土)に開きます。
父が亡くなる直前に早乙女さんあてに書いた手紙を、今読み返しながら、父の思いを改めて心にきざんでいます。2019.5.22 荒井 きぬ枝
早乙女勝元 様
はつらつとした辰年の賀詞をありがとう存じました。私も八度目のえとを迎えたからには、もはや、百歳圏に突入した思いで、これ以上の加齢を予期することなく、ひたすら余生そのものの無重力性を若い人たちの活力のよみがえりに、と、工夫を重ねるつもりです。
差し当たって日本の学校という学校のすべてが就職の予備校化してしまった現状をかえりみ、ゴーリキーの《私の大学》を復活する思いです。
私も、あなたも、それぞれ独学の畑で育ってきた道すじをかえりみると、何とも言えぬなつかしさをおぼえるのです。どうか、自分の足で立ち、自分の頭で考える若者たちのよみがえりのために、手をさしのべてください 頓首 2012.1.6 小宮山量平
ミュージアムの早乙女さんの棚には、映画化された、あるいはドラマ化された時に主演された、吉永小百合さん、山口百恵さんとの写真が展示されています。