信州黒姫高原───。
一面のコスモス畑で、少し、秋の風に吹かれてきました。
いぬいとみこさんを思い出していました。
『北極のムーシカミーシカ』(1961)、『ながいながいペンギンの話』(1963)、いずれも『理論社名作の愛蔵版』として今も読みつがれ、輝きつづけています。
子どもたちに“ほんもの”を届けたい──、戦後創作児童文学運動の担い手のひとりでもいらしたいぬいさんは、黒姫に仕事場を持たれていました。
途中下車で上田に寄ってくださったことがあります。
1983年に書きおろされた童話『ゆうびんサクタ山へいく』について書かれた色紙が遺されています。 ゆうびんサクタは
信州の
くろひめを舞台にうまれました
1984.2.13 いぬいとみこ 黒姫の風景に、いせひでこさんのさし絵を重ねながら、いぬいさんのことがしきりに思われてならなかったのです。
いぬいさんは2002年に亡くなられました。
いぬいさんに捧げた父の文章が遺されています。いぬいさんが多く主人公としたふたごのきょうだいの姿に、父は「友愛」を見いだしていました。
“自由・平等・博愛”の「博愛」を「友愛」に置き替えていた父。
いぬいさんに語りかけている文章が、今を生きている私たちの心に響いてくるのです。2019.9.11 荒井 きぬ枝
戦後創作児童文学のジャンヌダルク
― 《友愛》を語りつづけた いぬいとみこさん ─
(前略)
そうです、日本の戦後の民主化のたたかいの中で、自由と平等ばかりが格別に高く評価されるのにつれて、いつしか友愛=Fraternity という目標が立ち消え、見落とされてはいないだろうか。単なる Friendship ではなく、正に「きょうだいのような愛 Fraternity」で結び合う、そんな「友愛」を大切なカギとしない限り、日本の戦後の民主主義なんてものは形骸化し、挫折するおそれがないだろうか。私たちは、そんなことを語り合ったものだ。
それかあらぬか、いぬいさんの代表作の主人公は、ペンギンにせよ、北極グマにせよ、白鳥にせよ、何れもふたごのきょうだいを軸として物語をくりひろげる。今にして私は、いぬいさんの代表作を読み返しながら、思わずも「いぬい・とみこさん、ありがとう!」と、日本の子どもたちに遺された「友愛」の記念碑を抱きしめるような思いにならないではいられないのである。
いぬいさん!今にして戦後の日本が取りこぼしてきた徳目の第一は、何と言っても、真の「友愛」ではなかったでしょうか。いや、日本だけではありません。世界じゅうが、自由を高唱し、平等を掲げて、近代化のコースを行進することに目覚めながら、いつしか一番大切な「友愛」を置き去りにしてきたような気がします。その友愛という温もりに支えられない自由が如何に虚しいものか、友愛の裏打ちを忘れた平等が如何に物欲に支配され易いものか──世界は今、そんなダメージに苦しんでいるのではないでしょうか。
21世紀が、そんなダメージから解放されるためには、今こそ自由・平等・友愛の理念が固く一つの温もりを結晶させうるかどうか。
幼い子どものうちから、そんな結晶へのあこがれを魂として育てることが、現代児童文学の一番巨きな課題でしょう。
いぬいさん! あなたがふたごのきょうだいを描きつづけた作品が、そんな日のための糧として、ますます大切にされる日はつづくことでしょう!
いぬいとみこさんからいただいた色紙

2019年9月9日 黒姫高原コスモス園にて