昭和42年(1967)5月に刊行された「きりん」春号が今私の目の前にあります。
「きりん」の刊行を理論社が引き受けてから4年目───。
いまこそ「きりん」をもっと美しくしたい
もっとたくさんひろめたい
もっとおもしろくしたい
父の願いを込めた最初のB5判です。
A5判からの移行は、けれどなかなか実現されず、一年間の休刊を余儀なくされての刊行でした。
巻頭にあった父の言葉です。 長らくお待たせしました
やっと復刊することができました
日本の子どもたちに 今こそ
―美しい雑誌が必要なんだ
―自由なひろばが必要なんだ
そう考える心を一つにあわせて
この小さな灯を守らせてください この「きりん」春号の表紙(絵・レイアウト・題字)を担当されたのが和田誠さんです。
“小さな灯を守らせてください”───、父のその思いを和田さんは受けとめてくださったのだと思います。
和田さんが初めて理論社の仕事をなさったのは、1961年に刊行された『ぼくは王様』(寺村輝夫)のさし絵を描かれた時でしょうか。
25歳の青年だった和田さんと父との出会いに、思いをはせています。
“戦後創作児童文学運動”を和田さんも支えていてくださったのですね。
このミュージアムのあちこちに和田さんの仕事が遺されています。
『うたのほん 4人目の王さま』(1963年刊)、作曲と絵が和田さんです。楽譜も和田さんの手書きです。
『わらいねこ』(今江祥智作 1971年刊)
『谷川俊太郎詩集 どきん』(1983年刊)
そして───、
『平野威馬雄少年詩集 ガラスの月』(1984年刊)、平野レミさんのお父さまの詩集には、和田さんと一緒に息子さんの唱君と率君が絵を添えています。
和田さんの生前のことばを落合恵子さんの文章の中に見つけました。
(10月23日付 信濃毎日新聞夕刊“今日の視角”)
引用させていただきます。
和田さんが“つらぬかれていたもの”を今強く感じています。2019.10.25 荒井 きぬ枝
「とても優れた完成度が高いポスターがここにあるとする。誰もが賞賛し、誰もが足を止める。芸術的にもとても優れた作品だとしよう。けれどそのポスターのテーマが、兵隊さんになって、お国のために……ということだったら、優れているがゆえに余計罪深いとは言えないかな。
それを見て、兵隊さんになろうとする若者がいたとしたら、なおさら。
表現するとき、ぼくはそのことを忘れないようにしているんだ」。左:『4人目の王様』 右:「きりん」春号(通巻214号)
『ガラスの月』
父が依頼して和田さんにデザインしていただいた「若菜館」の包装紙
六文銭がモチーフになっています。