「私の大学」に絵本作家で、『岩波ホール』では企画を担当されていた原田健秀さんを講師としてお招きしたのは、2015年10月のことでした。
原田さんは、グルジア(現ジョージア)の画家ピロスマニについて、そしてそのグルジアをこよなく愛した父について語ってくださいました。
1966年、父が初めてグルジア(父にとってはどうしてもジョージアではなくグルジアなのです)を訪れた時の文章が遺されています。
読むたびにグルジアへ行ってみたいという思いがつのります。
ほんとうは父と一緒に行きたかった・・・・・。
《谷間に眠る銀河》と題された文章は、こんなふうに始まります。 さいしょにこの街を訪れたときは、キエフを遅発した飛行機のため、あこがれのコーカサスの山々は黒ぐろと眠り、巨峰エリブルースもドゥィフ・タウも見定めようがありません。けれど、いくらか気落ちした私の眼に、チカチカと帯状につらなる地上のまたたきが入りこんできたとき、私は、まぎれもなく星空のまっただ中にいる驚きに、思わずも叫んでしまいました。
「まるで下の方も空だ!」と。・・・・・・そして、それをこの街の第一印象として語った私に、グルジアの友人は、「われらの詩人もそううたっています」と、あたりまえのことのように微笑したのです。つまり、この地を故郷とするマヤコフスキーは、いみじくも「銀河がこの谷間で眠っている・・・・・」というふうに、この街の夜景をたたえているのだそうです。
(中略) 先日、在日ジョージア大使ティムラズ・レジャバさんから突然お電話をいただいてびっくりしました。
グルジアの画家ラド・グディアシビリの絵がここにあると、原田さんからうかがったとのことでした。
本国では現在、ラド・グディアシビリが再評価されているということ、ピロスマニと並んで国民から大変愛されている画家であること、そして、彼の絵が日本にあると聞いて、信じられないほどびっくりしたということを立て続けに話されました。
ひと目その絵を見たい・・・・・・と。
一週間後の先週の金曜日、奥さまともども大使はほんとうにここへお見えくださったのです。
初めて訪れたグルジアで、父はピロスマニの絵と出会いました。そしてピロスマニの発掘者とも言われるラドとめぐりあったのです。
グルジアへの旅を重ね、いつしかラドと父は深い友情で結ばれることとなります。前記の文章は以下のように続きます。 建造物や風致に目をみはるような観光気分を洗い流して、いち早くこの体感に旅人を馴れさせるものは、もとより、人間です。人びとです。あの友人、この友人です。すれちがう老人や青年、笑いかけてくる子ども・・・・・・彫り深い顔、きらめく黒い瞳。そして、もし話し合うことができれば、何よりも率直さを美徳とした、えんりょのない対話。たちまち交わされるとめどもないブドウ酒の盃。・・・・・あげくのはて、ふんだんに、じつに、ふんだんにどこでもとびだしてくるのが「友情」ということばでした。
やがて私のグルジアへの旅も重なり、人びととの交流が深まるにつれて、この「友情」ということばにこめられた厚ぼったい意味がまるであぶり出しの文字のように浮かびでてくることになりました。 (後略)(グルジアの人びと『虎皮の騎士』―作品風土記的解説 より)
「ジョージアにいらしてくださいね」
大使のことばが心に残っています。
「もう一度グルジアへ行きたかった」───、晩年そうくり返していた父。
彼の国との新しいつながりをきっと喜んでくれていると思います。
2020.2.19 荒井 きぬ枝

ラドの絵の前で大使ご夫妻

1971年にラドから贈られた“ともだち”、絵の裏にはこう記されていました。
親愛なる小宮山さま!
深い愛情と敬意をこめて拙作を贈ります。
ご健康とご多幸をお祈りします。小生のこと忘れないでください。
1971年6月19日 トビリシにて ラド グディアシビリ