ぼくが三歳のときのこと。ぼくの家では十二番目の子どもが生まれた。そのお産がもとで、とりのかあさんが亡くなった。生まれたての赤ん坊は、ほどなく近くの魚屋さんへ養子にもらわれていった。十一番目のぼくは、かあさんの里へ預けられることとなった。
それが、佐久のおばあちゃんの家であった。(『千曲川第一部―そして明日の海へ』より)
“とりのかあさん”の死は、ほんとうはその当時日本でも流行していたスペイン風邪が原因だったのだと母が明かしてくれました。
「三歳でおかあさんを失くしたんだもの、かわいそうだった。ずっとずっと恋しかったとおもうよ。」
母がぽつりとそう言いました。
父親が亡くなったのは、父が十歳になった年でした。
『千曲川』の中で、父はおばあちゃんの言葉を借りて、仲むつまじかった父親と母親の姿を描いています。
そんな夫婦であったに違いない。父の思いです。 (前略)
そうだ、おとうさんは毎晩とくべつのごちそうで、奥の部屋で、ちびりちびり酒を呑んでいたっけ。ぼくたち小さいきょうだいは、こわいものでも見るように、障子のすきまからそっとのぞいて見るのだが、ふと、おとうさんに手招きされたりすると、「うわあっ!」と、逃げてしまうのだった。
──おぼえているかい。おめえがまだ三つぐれえの頃だに。とりのかあさんが、毎晩つきそって、お酒をついでくれる。おとうさんのひざには、おめえが乗っかってさ、ときどき、おちょこをなめさせられたりすると、おめえは苦い顔をする。とりのかあさんが、そんなおとうさんをたしなめる・・・・・。
うん、おぼえている、と、ぼくは思わずうなずいてしまった。当時の、うすぐらい電灯の光の輪の中に、一対の夫婦と一人の男の子の夕餉のありさまが、シルエットのように浮かび出る。いつしか、ぼくの瞼にはぼうっと太陽のしずくが宿って、もう何も見えなくなってきた。 (中略) そして『千曲川』第四部の終章。
戦争が終わり、ふるさとにたどり着いた時の思いは、こう綴られています。 今日まで、良くぞ歩きつづけて来たものだと、自分で自分を慰めずにはいられない温もりが、じわりじわりと胸を埋め、ああ、これがふるさとなのか、と、涙がにじんでくる。思いがけなく、じじやばばの顔が浮かぶ。父と母の現実には聞いたこともない声ごえがよみがえる。すべてがいっしょくたになって・・・・・ああお帰り!・・・・・うん帰って来たよ!・・・・・・と、思わずも立ち上がってしまった。 (後略) 三歳で別れた母親の面影を、そしてその声までもを父は心にいだき続けていたのです。それが父にとっての“ふるさと”だったのですね。
スペイン風邪による日本の死者は、45万人にも達したと記録にありました。
そして今、新型コロナウイルスの感染により、世界中であまりにも多くのいのちが奪われています。
亡くなられた人々の無念を思います。
愛する人を亡くした人々の悲しみを思います。
無念さを、悲しみを想像することができれば、感染した人たちへの差別は消えるはずなのに───。
まるで犯人さがし、犯人あつかい。
人が人を見張るという異常さ。
パリ在住の作家、辻仁成さんが朝日新聞に寄せた文章(4月22日付)を読みました。
心に残っています。 (前略)
実は、新型コロナウイルスの脅威は感染力の強さや致死率の高さだけではない。このウイルスには人間を分断させる恐ろしい副作用がある。人と人を引き離す、人と人の関係を断ち切るもう一つの破壊力を忘れてはならない。
(中略)
致死率の高さも恐ろしいがそれよりもっと怖いのが、これまでの価値観や人間の結びつきを引き裂くこのウイルスの真の毒性だ。
(中略)
他者を排斥し、感染者が差別され、世界中が鎖国のような状態になって、不安と憎しみが助長され、ぼくらは誰もが距離をとるようになり、その結果、笑顔が遠ざかった。
(中略)
つまり、このウイルスは人類から人間の本質である愛を奪う悪魔と言い換えることもできる。 (後略) 非常事態宣言が徐々に解除されようとしています。
「心への感染」を残したまま、私たちはどんなふうに日常を取り戻していけるのか・・・・。
何よりも“優しさ”を取り戻してください、つながりを取り戻して下さい───
私は心の中で叫んでいます。
辻さんの寄稿は、“パリに差した光”と題されていました。息子さんと二人の生活の中で「自分たちが生き残るために、ぼくらは支え合い、強い連帯感を持ち、生きぬこうと約束した」───と。
“光”を見いだしていきたい。そう願っています。2020.5.15 荒井 きぬ枝
5月12日、父の誕生日
わが家の庭のうの花(梅花うつぎ)が満開になりました。
「おとうさーん、見えますか?」