2020/6/24
さまざまなことが少しずつ解除されていく中で、「新しい生活様式」にとまどっています。
マスクにフェイスシールド、そしてあたり前のようにどこにでも見られるようになった透明なビニールシート。
日常が取り戻されたかに見えても、風景がすっかり変わってしまいました。
感染するかもしれない、感染させてしまうかもしれない・・・・・・、いまだにその不安があって、「新しい生活様式」を受け入れざるを得ないことのとまどいです。
不安が、人と人とを隔てています。
先日、あるニュース番組でこんなことが語られていました。
小学校の教室で、隣の子がけしゴムを落としたとして、それを拾って「ハイツ!」と手渡してあげるのがこれまでの“おもいやり”だったけれど、今は拾ってあげないのが“おもいやり”なのだと・・・・。
悲しいけれど、何かが確実に変わってしまったのですね。
リモートとか、オンラインとか実際には会えなくてもつながることの手段を多くの人たちが考え出し、実践しています。
けれど、なんだかさみしい───。
先日放映されたNHKの『あの人に会いたい』で、詩人の塔和子さんを知りました。
番組で紹介された詩人の経歴です。 塔和子さん、本名・井土ヤツ子さんは昭和4年愛媛県生まれ。11歳でハンセン病を発症し、13歳で瀬戸内海に浮かぶ大島の療養所へ。歌人・赤沢正美に師事し詩作を始める。昭和27年に病は完治したが島を出ることはできず、閉ざされた生活の中「なぜ生きるのか」という心の叫びを詩に託し続けた。亡くなるまで島を出ることができなかった塔さん。絶望の中にも喜びや慈しみを見出し多くの人に生きる勇気を与えた83年の生涯だった。 人と人との間の距離。
人と人とが向き合うことができない今。
番組の最後に朗読された詩に心が震えました。2020.6.24 荒井 きぬ枝
胸の泉に 塔 和子
かかわらなければ
この愛しさをを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
このおおらかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人は関わることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子と関わることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
繰り返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生をつづる
ああ
何億の人がいようとも
関わらなければ路傍の人
私の胸の泉にも
枯れ葉一枚も
落としてはくれない
投稿者: エディターズミュージアム
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2020/6/17
山田洋次監督の新作の試写会に毎回必ず招待していただけるのは、父とのつながりを大切にして下さっていた監督のお気持ちがあってのことだと思っています。
今年の暮れに完成予定だった『キネマの神様』。
志村けんさんの舞台あいさつを楽しみにしていたのですが・・・・・・。
原作は2008年に刊行された原田マハさんの同名の長編小説です。
文庫本で手に入れました。
読み始めて、その一行目から心を奪われました。
そう、そうなんだ───と。 暗闇の中にエンドロールが流れている。
ごく静かな、吐息のようなピアノの調べ。真っ黒な画面に、遠くで瞬く星さながらに白い文字が現れては消えていく。
観るたびに思う。映画は旅なのだと。
幕開けとともに一瞬にして観るものを別世界へ連れ出してしまう。名画とはそういうものではないか。そして、エンドロールは旅の終着駅。訪れた先々を、訪れた人々を懐かしむ追想の場所だ。だから長くたっていい。それだけじっくりと、思い出に浸れるのだから。
最後の一文が消え去ったとき、旅の余韻を損なわないように、劇場の明かりはできるだけやわらかく、さりげなく点るのがいい。
座席も通路も、適度な高さと角度。ドアや幕は、落ち着いたデザインで。劇場内のすべてが、帰ってきた旅人をあたたかく迎え入れるように。
(中略) 作中に出てくる名画座。私がよく行く銀座和光ウラの「シネスイッチ銀座」は実名で登場します。
もうひとつ、重要な場面となる名画座。あれは飯田橋にあった「佳作座」でしょうか。
あの風景が浮かんできます。
原田マハさんの文章を続けます。 名画座は映画人の心、映画を愛する人の心情を痛いほどわかっている。テレビでなくパソコンでなく、スクリーンでの感動を、もう一度スクリーンで。惜しみながら、慈しみながら、上映しているのだ。 (後略) 学生時代の父にとって、映画が、そして名画座がどんなに心の糧となっていたか、そのことが『千曲川 第二部』に綴られています。
スラスラと出てくる題名に感動してしまうのです。
(前略)
土曜日毎のぼくのアルバイトには、江畑くんも佐古田くんもほとんど同行してくれるようになった。従ってぼくらは、その頃の目ぼしい映画のほとんどを、見逃すことは無かった。
たんに新しい映画を追いかけるだけではない。ある映画とある映画との結びつきが、すでに一つの新しいドラマであった。例えば芝園館と言えば、時として《モロッコ》と《嘆きの天使》の二本立てなんてことをやる。するとその一週間はマルレーネ・ディートリッヒの世界なんだ。どうしても、その二本立ての現場に自分たちを置いてみないではいられないのだ。
そしてまた、あのトーキーの草分け時代に『巴里の屋根の下で』というロマンでぼくらの心をとりこにしたルネ・クレールなんていう監督が、矢継ばやに『百万(ル・ミリオン)』や『巴里祭』でフランス庶民の祭りと輪舞の愉しさを、『自由を我等に』で現代社会の大量生産のもたらす悲喜劇を、そしていつしか『最後の億万長者』へ『幽霊西へ行く』へと進むのにつれて、いつしかファシズムというデモンにおびえるヨーロッパ民衆の危機感を、ぼくらの胸にずっしりとのこしてしまう。
(中略)
お茶の水の坂を昇平橋の方へ下った橋際のシネマパレスという新しい映画館なんかは、ぼくらにとっておあつらえ向きの小屋で、ある月は《ドイツ名画月間》なんぞと銘打って、『嘆きの天使』『会議は躍る』『狂乱のモンテ・カルロ』『三文オペラ』『未完成交響曲』などはもちろんのこと、ああ、こんなのもドイツのウファ社作品だったんだなあ、と、ぼくらの記憶を呼び戻すかのように『ガソリン・ボーイ三人組』『今宵こそは』『歌え今宵を』『故郷』など、ヤン・キープラやツアラー・レアンダーの歌を存分に聞かせる作品を、みんな二本立てでずらり並べて見せる。
かと思うと『キング・コング』やチャップリンの『街の灯』なんかでアメリカ映画の新傾向をのぞかせてくれたり、数少ないソヴィエト映画『人生案内』を再上映したりもする。
あたかも大学の講義プランを逐うように、ぼくらにとって映画館は教室であった。
映画そのものがレクチュアでありノオトであった。そして、あの頃の夜は長かった。
夜の部の二本立てを見終わってからでも、そこからほど近い《やぶそば》は、未だ明るかった。本郷三丁目まで歩いても、そこの《やぶ》は威勢よくぼくらを迎えてくれた。
夜食に温もったぼくらは、おなじみの菊坂を下り、西片町を上がって光くんの家の門口まで、もちろんみんなで歌うのが目的で、そろって行進したものだ。 (後略) “二枚のマスク”が送られてきました。
ああ、これが彼の人が意地になってつけているマスクか・・・・・と。
配布にかかった膨大な費用にあらためて怒りがこみ上げてきます。
補償されないまま苦境に立たされている方たちのことを考えています。
映画も、芝居も、音楽も・・・・・・そしてさまざまな芸術活動。
“心の糧”は決して“不要”ではありません。
一刻も速く補償してください。
どうか、無駄なお金を使わないでください。2020.6.17 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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2020/6/10
『チャップリン─笑いと涙の芸術家』。
父が執筆し《少国民の偉人物語文庫》の一冊としてこの本が岩崎書店から刊行されたのは1958年。
私は小学校六年生でした。
すり切れた表紙の本が今、目の前にあります。
父に手渡された時からずっと、チャップリンと父はいつも私の心の中で重なっているのです。
そしてそれは、母も同じだと思います。
先日BSで「チャップリンの独裁者」と「ライムライト」が立て続けに放映されました。過去に何度も観ているにもかかわらず、母はその二本を楽しみにしていました。
観終わって、父が保存していた日本公開当時のパンフレットにも丹念に目を通したようです。
そんなふうに、母は父との思い出をたどっているのですね。
父が大切に保存していた「チャップリンの独裁者」の解説書、見開きのページにあの有名な演説の全文がありました。
自著の『チャップリン』をもう一度出版したい・・・・・、父が晩年そう言い続けていたことを思い出します。
「チャーリーの演説を今、しっかり受け止めてごらん」───、
父にそう言われているような気がするのです。
全米から世界へ広がりつつある人種差別反対の行動に連帯する気持ちを込めて、コロナ禍の中で不安な日々を送る人たち、希望を失いかけている人たちへのエールの思いを込めて、演説の全文を次に綴ります。2020.6.10 荒井 きぬ枝
私は皇帝になりたくない
支配はしたくない
できれば援助したい
ユダヤ人も黒人も白人も
人類はお互いに助けあうべきである
他人の幸福を念願として───
お互いに憎み合ったりしてはならない
世界には全人類を養う富がある
人生は自由で楽しいはずであるのに
貪欲が人類を毒し───
憎悪をもたらし
悲劇と流血を招いた
スピードも意思を通さず
機械は貧富の差を作り
知識をえて人類は懐疑的になった
思想だけがあって感情がなく
人間性が失われた
知識より思いやりが必要である
思いやりがないと暴力だけが残る
航空機とラジオは
我々を接近させ
人類の良心に呼びかけて
世界を一つにする力がある
私の声は全世界に伝わり
失意の人々にも届いている
人々は罪なくして苦しんでいる
人々よ失望してはならない
貪欲はやがて姿を消し
恐怖もやがて消え去り
独裁者は死に絶える
大衆は再び
権力を取り戻し
自由は決して失われぬ!
兵士諸君 犠牲になるな!
独裁者の奴隷になるな!
彼らは諸君をあざむき
犠牲を強いて家畜のように追い回す
彼らは人間ではない!
心も頭も機械に等しい
諸君は機械ではない! 人間だ!
心に愛を抱いている
愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ
独裁者を排して自由の為に戦え!
“神の王国は人間の中にある”
諸君は幸福を生む力を持っている
人生は美しく 自由であり
すばらしいものだ!
諸君の力を民主主義の為に
結集しよう!
よき世界の為に戦おう!
青年に希望を与え
老人に保障を与えよう
独裁者も同じ約束をした
だが彼らは約束を守らない!
彼らの野心を満たし
大衆を奴隷にした!
戦おう! 約束を果たすために
世界に自由をもたらし───
国境を除き───
貪欲と憎悪を追放しよう
良識の為に戦おう
科学と進歩が全人類を
幸福に導くように
兵士諸君 民主主義の為に!
ハンナ
聞こえるかい
元気をお出し
ご覧 暗い雲が消え去った
太陽が輝いている
明るい光がさし始めた
新しい世界が開けてきた
人類は貪欲と憎悪と暴力を
克服したのだ
人間の魂は翼を与えられて
やっと飛び始めた
虹の中に飛び始めた
希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が 君にも私にも
やって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し
ハンナ 聞いたかい
聞きなさい! (1973年映画学習資料別冊「チャップリンの独裁者」より)
投稿者: エディターズミュージアム
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2020/6/3
先日、BSで放映された「飢餓海峡」を観ました。
観たい観たいと思いながら、なかなかその機会を得られなかった作品です。
(1964年、水上勉原作、内田叶夢監督)
三國連太郎主演。左幸子が演じた娼婦はとりわけ心に残りました。
三國連太郎さんについて書いた父の文章があります。
かつて、「大熊信行さんを偲ぶ会」の講演で、鶴見俊輔さんが『国家悪』を論じた折に、その例話として語られたことを引いて書いた文章です。 (前略)
何といっても、あの戦争が《総力戦》として闘われたという事実がある。国民の総力を挙げ、全国民が戦闘員の心構えを持たなければならなかった。そのために思想が統制され、物資が総動員され「欲シガリマセン勝ツマデハ」と一億がまなじりを決していた。
(中略)
俳優三國連太郎と言えば今日では『釣りバカ日誌』の社長役で親しまれているが、『飢餓海峡』から『息子』まで、その映画歴はみごとにすじが通っている。
その彼が若き日、ひたすら不戦の決意に生きようとしていたのだと言う。当然、彼は行方をくらまし遁走をつづけていた。そんな孤独のあげく、せめて母上だけにはと、居所を明かした。
けれどあの総力戦下の母上は十分に「軍国の母」であった。息子の所在は先ずその筋へと通報されたのである。わが子を深い慈愛のふところへと抱え込むぬくもりは失われていた。戦後になってからも、息子はそんな母を許せないでいる。だがそんな慈愛のぬくもりを見失ったのは、三國さん母子だけだろうか。 (後略) 《総力戦》の名のもとに、息子の居所を警察に通報してしまう母親。
けれど、「三國さん母子だけだろうか」──と投げかける父の言葉がささります。
今、コロナ禍の中で、そして言いかえれば《総力戦》の中で、自分を正義の側において他人を責める人々。
《総力戦》に加わらない人、加われない人が責められるのです。
「戦争前夜」が頭をよぎります。
人が人を見張るための“隣組”がありました。
そして“自警団”。
なにやら似ているのです。
“同調圧力”も、“自粛警察”も・・・・・。
「横ならび」はしたくない!
私は心の中でさけんでいます。
信毎の夕刊(5月27日付)「今日の視角」の落合恵子さんの文章を再び父の文章と重ねます。
落合さん、同じ気持ちです。2020.6.3 荒井 きぬ枝
自粛終焉のカードが一応、掲げられた。この間の自粛はトップの要請からはじまった。
戸惑い、困惑しつつ、大多数はそれに従った。感染するのもさせるのも避けたい、と心から思ってのことだった。
がんばったのだ、子どもも大人も。我慢したのだ、子どもも大人も。このがんばりや我慢を、先の戦争のように誤った方向に使わせないこと、つかわれないことを、わたしは要請したい。 (後略)
投稿者: エディターズミュージアム
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