2015年の年賀状に、私はこのような文章を書きました。 昨年の暮れ、16度目のパリを訪れました。
ナチスとユダヤに関する資料が展示されている「ショア記念堂」。
隣りの小学校の壁には、フランスの警察に連行され
アウシュビッツへ送られた子供達の名前が刻まれています。
何百という数の名前に、孫たちの顔が重なって
私はしばらく動くことができずにいました。
戦争の犠牲になった子供たち。
銘板の文には、フランス自身の責任と反省が・・・・・。
その「責任と反省」がないまま、
今また同じあやまちをくり返そうとしているこの国。
“どうか世界の皆さん、父や母の痛みの数えきれない累積として
戦争を思って下さい───”。父の言葉がよみがえります。2015年のはじめに
この拙文をお読みくださった井出孫六さんのお返事です。 御賀状で16度目のパリでのご見聞を拝見し、改めて共感をおぼえました。
本年もよろしく ’15 元旦 井出孫六 10月8日、作家で編集者でもいらした井出孫六さんが亡くなられました。
このエディターズミュージアム「小宮山量平の編集室」を誰よりも見守っていただきたいと願っていた方でした。
「知」の方でした。
佐久病院のホールでの父のスピーチが『地には豊かな種子を』(2006年、企画・監修 自然と人間社)に収録されています。
父は佐久の地の「知の力」について語っています。 「知の力」の復活を
(前略)
現に、このような若月さん(※若月俊一さん)、山室さん(※山室静さん)、竹内さん(※竹内好さん)などを生んだ地脈には、通り一ぺんの保守党の勢力が根を張るのではなく、井出一家のようなリベラリズムを骨格とする一族も生まれており、その胎内からは丸岡秀子さんを始め井出孫六さんのように、現代的な懐疑や実証の知的精神を踏まえた作家が輩出して、頼もしいオピニオン・リーダーぶりを発揮しております。
この孫六さんによる秀れた伝記的小説は、すでに皆さんにも親しまれているのでしょうが、とりわけ日本という国柄を特有のあたたかい視線で見つめた上で、冷静な明日への透視力で検討を加えている紀行文の傑作として『島へ』と『歴史紀行峠をあるく』(筑摩書房)は、ぜひ読んでいただきたい労作です。と言いますのは、私たちが深い懐疑的精神と実証的精神とで照射するべきなのは、単に私たちの知的な歩みだけではありません。
正に、島が哭き、峠が荒廃し、国土そのものが敗戦の地肌を示しているのです。おそらく私たちの心に新時代にふさわしい希望や勇気が回復するためには、孫六さんがコツコツと踏みしめた国土そのものを、私たちもあたたかく見つめる心を回復せずにはいられません。 父がお贈りした『地には豊かな種子を』をお読みくださった孫六さん(父が親しみを込めてこう呼ばせていただいていたので)は、その時腰痛のため入院されていた諏訪中央病院から父あてにお礼のお手紙をくださいました。 (前略)
入院まもなく御著書『地には豊かな種子を』を頂戴し、ベットの上で拝読させていただきました。早速お礼申しあげるべきところ、大変遅くなってしまい申しわけありませんでした。
冒頭四十話は、それぞれに緊張感が溢れ、一篇一篇に後書きがつき、丁寧なでき映えに感嘆いたしました。 いつか私もこんなコラム集を作ってみたいと思いました。
さて、後半の講演語録に目を転じますと、佐久病院でのお話の中に、過分のおことばがあって目のくらむような恐縮した気分におそわれました。
激励のおことばを体し、腰痛などで弱気になっているわけには参らないと喝を授かった次第でありました。
小泉についで、安倍というドシ難い首相の登場に唯あきれているわけには参らない昨今の情勢です。御著書が若い人たちへのメッセージとなりますよう。
秋色深まって参りました折、風邪などお召しになりませんよう。皆様によろしくお伝え下さいませ。 諏訪中央病院にて 井出孫六 小宮山量平様 2006年にいただいた孫六さんからの年賀状には父あてにこのような言葉が記されていました。 いつまでも警世の言をお聞かせください。 今、国の内を見ても外をみても「知の力」が衰えています。
孫六さん、父がいただいた言葉をそのまま孫六さんにお伝えしたい。
そう思っていたんですよ。2020.10.14 荒井 きぬ枝

岩波書店のすべての刊行物が置かれている諏訪「風樹文庫」の入口で。
孫六さんと父。