NHKテレビの「あの人に会いたい」という番組(土曜日午前5:40〜)。
なつかしい映像とともに亡くなられた方が甦ります。
11月20日は“灰谷健次郎さん”でした。
11月23日の命日を前にしての再放送だったのだと思います。 自分の中にどれだけたくさんの人を住まわせるか、
それによって人間の値打ちは決まってくるんだと、僕は思っている。 番組の最後は灰谷さんのこの言葉で結ばれていました。
他人(ひと)の人生を知ることの大切さ、
他人(ひと)の痛みを自分のものとして受け止めることの大切さを書き続け、語り続けられた生涯でした。
灰谷さんの訃報を伝える新聞記事を、今読み返しています。
信濃毎日新聞(2006年11月24日付)では、石川文洋さんと父とが言葉を寄せていました。 大事な時期に・・・・・
「理論社」創業者で編集者・作家の小宮山量平さん(90)の話
「大人が子どもを導く」という長い間の教育原理に対し、「子どもから大人が学ぶ」を原理にして日本で初めて発言し始めたのが灰谷さん。十七年間、子どもの本当の友達として、いい教師生活を送ったのだと思う。『兎の眼』(理論社)は、そうした子どもと教師の世界を描いた。今こそ灰谷さんに元気になってもらい、日本の子どもたちのために縦横無尽に活躍してほしかった。子どもの問題を一番大事に考える人を、一番大事な時期に失ってしまった。 子どもに心配り
写真家 石川文洋さん(68)の話
『兎の眼』や『太陽の子』は大人でも読める作品だ。灰谷健次郎さんが文、私が写真を担当した『アジアを生きる』で、一緒にアジア各国の学校や貧しい子どもたちを訪問した際、子どもに熱い視線と心配りを忘れなかった。
彼のような常に人を思いやる人は珍しく、それが作品にも共通して表れている。今いじめや自殺が問題化しているが、彼は現代の子どもたちの現状に心を痛めていたと思う。
元気であれば、何かメッセージを送ったはずだ。残念でならない。 “子どもの問題を一番大事に考える人を、一番大事な時期に失ってしまった”───。
父の言葉を私は心の中で繰り返しています。
2006年11月25日付、信濃毎日新聞の「斜面」です。
先日起きてしまった少年の事件が心に突き刺さっています。
「あの人に会いたい」───、そう、今こそ「灰谷さんに会いたい」のです。2021.11.26 荒井 きぬ枝
(かなしいことがあったら/ひとをうらまないこと・・・)。
児童文学作家灰谷健次郎さんの『太陽の子』に出てくる女の子、ふうちゃんは紙切れにこう書く。しっかりした考えと温かい心の子だ。
◆ふうちゃんの父母は沖縄出身で神戸に琉球料理店を開いている。優しい常連に囲まれ、ふうちゃんは明るく育つ。父が心の病気で苦しむようになる。原因が沖縄の戦争に関係あるとわかる。ふうちゃんは自分の生が多くの人の悲しみの果てにあることを知る。
◆灰谷さんは小学校教師をした後、1974年に子どもと教師の交流を描いた『兎の眼』を発表し支持を得た。『太陽の子』はその四年後だ。淡路島に移り、農耕、さらに沖縄県渡嘉敷島で漁をしながら執筆を続けた。作品は平和教育の教材になることも多い。二十三日に亡くなった。
◆2002年に本紙「明かり求めて」シリーズのインタビューで次のように述べている。
〈命をはぐくむ農業と教育に競争原理を持ち込み、その結果、生命の倫理観がなくなった〉〈どの命もかけがえがないのに、命に高い低いをつける。競争原理の行き着く先だ〉
◆さらに〈子どもが反社会的な行動に走る時、大人の腐敗が必ずそこにある。子ども、若者の問題は、大人の問題だ〉とも強調した。
いじめで悩んでいる少年少女たちにも灰谷さんの作品を読んでほしい。きっと、生き抜いていく力がわいてくるだろう。