くりかえし読み、くりかえし語ってきた『愛になやみ死をおそれるもの』(1950年理論社刊)
神山彰一というペンネームで父がその中に書いた「私はお前をえた」という一文は、父の原点であると同時に、ずっと私の心の支えでもあるのです。
父の他に十七人の方たちが、戦後の思いを、そして戦後をどう生きるべきかを記しています。
刊行された同じ年に完成した丸木位里、赤松俊子(丸木俊)夫妻の「原爆の図第一部《幽霊》」が表紙とさし絵に使われています。
当時のご夫妻と父との交流がうかがえます。
「父の言葉をいま・・・」と題してブログを綴り始めてから七年目が終わろうとしています。
父に聞いてみたい、父だったら何て言うだろう・・・・・・、そう思うたびに父の言葉をさがしてきました。
『愛になやみ死をおそれるもの』の冒頭に記されている編集者としての父の言葉を読みかえしています。七十年前の文章が今、私の心に何かをつきつけてくるのです。 編集のことば
・・・・・愛になやみ死をおそれる平凡な語らいをつらぬいて、しぼりあげるような、たったひとつのことばが、もう、喉をついてわっとほとばしり出そうな感情に高まっている・・・・・ 何という侘しい祖国の姿なのであろう。敗戦五年余の時の流れに洗われて、すべてがその本来の姿をむきだしにあらわした現状を見わたすと、戦火に荒れはてた焼けあとの広野に立ったときよりも、はるかに荒涼とした思いにとりつかれるのではなかろうか。
華やかに夜明けを告げた自由の叫びも、つけやき刃のように、もろくも折れてしまった。
民主主義というめっきの剥げおちたあとからは、凶暴なファシズムの地肌がむきだしになっている。配給の自由を謳歌することのできるひと握りの人々が、今日の日本をエデンの園と呼ぶとき、生活に追いまわされている無数の民衆たちの心からは、自由を叫ぶ気力そのものさえ消滅しようとしている。
こうして、学問の園からは、学問の自由が去った。市民の心には重苦しい圧力が、たとえば税金というような形で、四六時中のしかかっている。多くが失われてゆくなかで、税務官吏と警察隊だけが増強され、そして、私達は今、眼前に戦火のとどろきをきくことになってしまった。
しかし、恐ろしく侘しいのは、単にそれらのことではない。嘆かれるのは、それらのことが、すべて昨日の喜劇の繰返しだということである。性こりもなく。同じ喜劇悲劇を繰返そうとして憚らない、その心根である。言論が統制されはじめ、思想の善導が協調され、日本精神がよび戻され、そして、にんまりと特需景気がたたえられているではないか。
(中略)
『愛になやみ死をおそれるもの』──この一冊は、敗戦後五年の歩みの中で積みあげられつつある、民衆ののぞみを、そののぞみのままで収録したものである。曾て戦禍の犠牲として去った青年たちのひそかな語らいが「きけわだつみのこえ」としてまとめられたとき、ひとは、それによって戦争をにくむ心を新たにせしめられ、良心の灯の輝きから、明日のための何かの決意をうけとった筈である。
父母なるひと、青春のなやみに耐えているひと、耐えがたい傷痕にもだえるひと、真実や祖国への祈りにまんじりともせぬ夜を迎えるひと、これら広汎なひとびとの語らいが、ひとびとの心に何をよびかけるか。───それは読者の胸のうちなることであろう。
私たちとしては、心と心の深くふれあえる書物、誰彼の胸にじっと抱きしめられ、今日の苦しみの中のふとした夜の枕辺などで、思うままのページをはらりとめくったところからよみはじめ、どのページからも、心の友を感ぜられるような書物を送りだしたかったのである。
そして、あらゆる分野で、次々と高められる私たちの悲願が、理論や政治の中へ正しくとどくことを、読者とともに祈りたかったのである。秋深む読者の枕辺に、冬を耐え、春を待つ心で、この一書を捧げる。1950.10.14 理論社編集部 (小宮山量平)
「ちっともいい世の中にならなかったね」──
亡くなる間際に母に語りかけた父。
でも同時に父の言葉が聞こえてきます。
「絶望はするなよ」──と。
そう、『千曲川第五部』のテーマは“エスポワール(希望)”だったよね。
『愛になやみ死をおそれるもの』の最後に父は、ロマン・ロランの言葉を引用しています。
くじけそうになったことがたびたびあったけれど、この言葉に励まされながら、新しい年を迎えようと思っています。
一年間ありがとうございました。2021.12.22 荒井 きぬ枝
1887年に、私がルナンと話し合ったとき、あの賢者は私に次のようなことを預言した・・・・・・
大きな反動の時期がやがてくるのをあなたは見るでしょう。そのとき、われわれの今擁護している一切のものが打ちくだかれたかのように見えるでしょう。
しかし、そのとき、落胆してはいけません。人類の進む道は、山道のかたちです。
それは、螺旋状をなして登ります。ときとして後戻りをしているように思われる。
しかしやっぱり登っているのです。
──ロマン・ローラン──
父の敬愛していたロマン・ロランのポートレート。
東京の父の編集室にあったものが、
今、ミュージアムに置かれています。