『つづり方兄妹』が刊行されたのは、昭和33年(1958年)のことです。
刊行後父は背中を押されるように創作児童文学の出版を手掛けることになります。 (前略)
大阪の外れ、枚方市の香里という原っぱの多い辺りの香里小学校に、松原春海という綴方教育に秀でた女教師がいた。彼女の指導した子どもたちの中でも、野上丹治・洋子・房雄という兄妹はとりわけ作文好きで、そのいずれもが各新聞や雑誌の投稿で選ばれる。
それも大抵は一等であり、メダルや賞品を受けることが多い。その三人の作文を一冊に編集し、『つづり方兄妹』と名づけて出版した。
すでに『山びこ学校』や『山芋』が評判となっていたが、この都会の貧しい一家から生まれた一冊はいかにも戦後の貧しい生活を反映して独特の反響を呼び、忽ち映画化された。
・・・・・たこもないけど/たこはいらん/こまもないけど/こまはいらん/ようかんもないけど/ようかんはいらん・・・・・
「お正月」をこう謳い上げた房雄は三年生になった六月には他界してしまった。やがて訪れたモノのはんらんの前夜に、遺言のように刻まれたこの楽天的な詩が、私の背をどやしつけたようだ! (後略)(『昭和時代落穂拾い』より)
背中を押されたのは父だけではありませんでした。
今、私はシネフロント別冊号『住井すゑ百歳の人間宣言』(2002年)を手にしています。その中に記された住井さんの年表です。 1958年(56歳)
10月、教職員の勤務評定闘争が激しく闘われている和歌山県朝来(あっそ)を訪れ、数日にわたり取材。子どもたちが同盟休校して村の寺で勉強している姿を目にし、また田辺では映画『つづり方兄妹』を見て泣いていた子どもたちと話をして、『橋のない川』の執筆を決意する。 この別冊号は、同名のドキュメンタリー映画の公開に合わせて刊行されたものです。
住井さんから父がいただいた貴重なはがきが遺されています。
昭和33年10月14日の消印。
和歌山県牟婁郡朝来(あっそ)にて───と。 汽車に乗ってからずっと天候に恵まれています。京都に二日、それから表記に入りました。全国でただ一カ所同盟休校(*)を敢行しているところです。
ところで昨日は勤評の賛成組―登校生と同盟生がいっしょで田辺市にバスをつらね、映画をみました。もちろん私もいっしょに。その映画は“つづり方兄妹”です。
同盟生には更に本を買って読ませることにしました。今日(十四日火曜日)も百二十名の同盟生は私の宿舎の寺院で勉強しています。
こんな歌を休み時に歌って。
お玉杓子は蛙の子 鯰の孫じゃねえぞ 高くとべ青蛙 ぴょんととべ赤蛙 みんなして手を組んで とのさま蛙をたおせ
ですから王様を欲しがる蛙ではありません 蛙親子のつづり方(つづり方親子)を是非出してください。 (注)同盟休校=学生・生徒が学校側に何らかの要求をかかげ、一致団結して授業をうけないこと。 “なまずの孫じゃねえぞ”と歌う子どもたちの姿、その自立的精神が父にはきっと伝わったのでしょうね。
ドキュメンタリー映画の中で住井さんが語っています。 「『つづり方兄妹』の映画を同盟休校している子供と、それから通学している一般の子供と、これ一緒に映画を見に行こうじゃないかという話になったんです。
同じ映画を見ても泣く所が、それくらい違うという不思議さですね。悲しいのはその命が、どのような過程で、どのような状況で死んでいかなければいけないかという事だ」 映画『つづり方兄妹』(1958年、東京映画作品。久松静児監督)の一場面が住井さんの声と重なります。 「『フサオは肺炎で死ぬんじゃないで、あれは貧乏で殺されているんだ』と、『肺炎になっても、入院さして手厚く看病してやれば治るじゃないか、今の医学では。それで貧乏なために入院も出来ない、煎餅蒲団においとくから、死ぬんだから、フサオは貧乏に殺されていくんだ、部落と同じだ』と、『差別の中で殺されていく、死んでいく部落の人間と同じだ』と、『殺されていく命に泣かずにいられるか』と、その中学二年生の女の子が私の前へいざり寄って来て、そう問い詰めるように、詰問するように私に言った。
私その一言でもうギャフンとしましたね。私は、部落解放のために命を賭けて何かをやろうと思っているけれども、私の考え方が、いかに甘っちょろいものか、薄っぺらなものかという事でよ」 そして、昭和38年(1963年)『橋のない川』の執筆を始められて5年後、住井さんは父への手紙でこう記されています。 (前略)
いよいよ第四部、人権の夜明けの水平社結成をえがくことは、なんといっても張り合いのあることです。四部も今年中にはご高覧いただける筈です。 3月3日、「水平社宣言」から100年。
人間だれもが平等であることを願い、差別や偏見と戦ってきた人々の歴史があります。
けれど、“ヘイト”やネットによる“誹謗中傷”など新たな差別も・・・・・。
そして今、「戦争」という形で多くの人々の尊厳がふみにじられています。
分断と憎悪───。
住井さんにむかって、父にむかって、
私は今、「どうしよう!」そう叫びたい気持ちです。2022.3.9 荒井 きぬ枝

父は何度か牛久沼の住井さんのご自宅を訪ねています。
このご自宅が昨年11月に「住井すゑ文学館」として
オープンされたという報道がありました。